2016年09月01日
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2016年09月01日
今から48年前の今日1968年9月1日は、ザ・ゴールデン・カップスの4枚目のシングル「愛する君に」がリリースされた日である。彼らにとって初のヒット(オリコン14位)となった前作「長い髪の少女」がリリースされたのが、5カ月前の4月1日。その間にカップスは、横浜を拠点とするマニアックな音楽センスで知られる玄人好みのバンドから、一躍全国的な知名度を持つ人気バンドへと著しい成長を遂げる半面、結成時以来のメンバーであり、初期カップスの音楽的キーマンとして重要な存在だったケネス伊東(リズム・ギター、ヴォーカル)の脱退という思わぬアクシデントに遭遇していた。駐留米軍の軍属だった米国人の父親がハワイへ転勤となったことから、米国籍で日本での滞在就労ビザを持たないケネスも一時帰国を余儀なくされたのである。
ケネスに代わる新メンバーとして加入したのがキーボード奏者のミッキー吉野で、中学生の頃からベベズ(のちのパワー・ハウス)、フラワー・クリエイションといった横浜のセミプロ・バンドのメンバーとして、ナイトクラブや米軍キャンプで活動していたというツワモノ。カップスが地元のジャズ喫茶などに出演した時に何度か飛び入り参加で演奏したこともあったので、メンバーたちとは以前から顔馴染みでもあった。1967年7月12日、ミッキーを加えた新生カップスは池袋ドラムで初ステージを飾る。新たにキーボードを加えたことでサウンドの幅は拡がり、当時メンバー最年少の16歳ながら譜面や音楽理論にも長けていたミッキーは、ケネスに代わる音楽的リーダーとしてグループの重要なポジションを担っていくのである。
新生カップスは帰国前のケネスも含めた6人で、すでに2ndアルバム(68年9月10日発売)のレコーディングを終了させていたが、最初にリリースされたのは前述のシングル「愛する君に」だった。デビュー曲「いとしのジザベル」と同じ鈴木邦彦(作曲)・なかにし礼(作詞)のコンビが書いたR&B調の作品で、編曲をカップスとの仕事はこれが初めてとなる村井邦彦が手がけている。ホーン・セクションをフィーチャーし、ミッキーのエレクトリック・ピアノ・プレイをアクセントとした村井アレンジのバッキング・トラックは、まさに「ガレージ・ソウル」とでも呼べそうな趣で、これにデイヴ平尾のソウルフルな “平尾節”と、前作「長い髪の少女」以来、ヴォーカリストとしても人気急上昇のマモル・マヌーがサビで披露する甘い歌声が相俟って、独特のグルーヴを生み出している。
カップス本来のサウンドとかけ離れているという理由で、「長い髪の少女」に批判的だったマニアックなカップス・ファンたちも、「愛する君に」には好意的な反応を示し、あの内田裕也御大も「あれはホント良い曲。日本語にしちゃ、最高だよ」と、カップスのドキュメンタリー映画『ワンモアタイム』(2004年)の中で称賛している ほどだ。セールス的には「長い髪~」に及ばなかったものの、オリコン13位というカップス歴代シングルの中で最高位にランクされており、現在でも2ndシングル「銀色のグラス」(2015年11月15日の本コラム参照)と並んで、GS後追いの若い世代からも評価が高い作品である。
B面の「クールな恋」はA面の編曲者である村井邦彦の作編曲作品で、イントロからファズギターが唸るバリバリのガレージ・ロック・ナンバー。当時テレビ放映されていたアニメ「巨人の星」に於いて、主人公・星飛遊馬の恋人が所属するアイドル・グループ「オーロラ三人娘」のヒット曲という設定でカヴァーされていたことで、近年話題となった作品でもある(当時はオリジナルがカップスの楽曲であることもあまり知られていなかった)。これもまたGS後追い世代で人気の高い作品だ。
「愛する君に」リリースの約1カ月後、ケネス伊東が日本に戻り、再びカップスに復帰する。ただし、就労ビザを取得できずに観光ビザでの来日のため、3カ月後には再び帰国し、ビザ書き換え後にまた来日という面倒な手続きを繰り返すこととなった。また、観光ビザゆえにあまり目立つような活動もできず、大きな会場でのライヴ、テレビ出演や雑誌取材、レコードのジャケット撮影などはケネスを除いた5人で行なわれた。しかし、ケネスとミッキーという音楽的キーマンを二人を擁したカップスは、 本格的ロック・バンドとして着実に成長を遂げ、GSブーム終焉後も実力派グループとして音楽シーンにサバイバルできたのである。
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