2015年08月22日

本日はタモリの誕生日。今年でベージュー(70歳)となるタモリと一関のヨシワラさん、そしてカウント・ベイシーとのジャズな関係とは?

執筆者:米澤伸弥

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8月22日はタモリ氏のバースデーということなのだが、彼がまだタモリと呼ばれていなかった(多分)頃、大学のジャズ研究会で彼のトランペット演奏を耳にした先輩のD氏に「おい、タモリ(とは呼ばれていなかったと思うが、多分)。マイルスのペットからは実存的な泣きが聴こえるけれど、お前のペットは笑ってるんだよ」と喝破されてラッパをやめた、というのはよく知られている話だろう。

以後タモリ(とは呼ばれていなかったかもしれない)氏は司会者としての異能を開花させていったわけだけれど、不肖ワタクシ、この「先輩」D氏とは酒席やジャズ・ライヴをご一緒させていただく機会が少なくない。ある時、新宿ピットインであったか、誰かのライヴをD氏と一緒に聴いた時の休憩時間のこと、旧知の顔を見つけたD氏の反応は「おー、○○さん! 久しぶり、元気? オレ? オレもうチャンジーよ、アージューアーだよ!」というものであった。アージューアー? 瞬間わからなかったのだが、これ、ジャズ用語(?)で六十六のことなのだった。C(ツェー)=1、D(デー)=2、E(エー)=3…、というアレである。当時ゲージューゲーかアーだったワタクシは、D氏の極々自然なジャズ話法から、およそツェージュー違いの世代差を感じたのでありました。


今でこそ「ジャズはいいなぁ」と思えるアラカン世代のワタクシたちだけれど、生意気盛りの年頃のBGMはロックであったりフォークであったりして、ジャズというとなんとなくオッサンの、いや大人の聴くものという印象が強かった。ロック好きの小僧の耳には、当時ジャズ・ロックとか呼ばれた「サイドワインダー」や「ジ・イン・クラウド」もペラペラした感じで、ロックとはほど遠く、なんだかピンとは来なかった。いわんやビッグ・バンド・ジャズはエリントンでもベイシーでも、完璧にオッサンのものであると確信していた。ところが…。


エリントンやベイシーの味をデージュー頃からわかっていた人たちがいたのである。それはD氏であり、タモリとは呼ばれていなかった頃の(しつこいね)タモリ氏であり、また「ヨルタモリ」のヨシワラさんのモデルであるところの一ノ関のレジェンド・ジャズ喫茶「ベイシー」オーナーの菅原正二さんたちである。ことに菅原さん、店の名前がそうであるだけでなく、ホンモノの(!)カウント・ベイシーとも親交を結び、ベイシー・オーケストラのコンサートも主催する、筋金入りのベイシー・ファン。アラカン世代の不肖ワタクシがようやくカウント・ベイシーの魅力に少し目覚めたのは、年齢でいうと菅原氏の2倍以上、年代でいえば30年以上遅れてのことだった。


きっかけは中古アナログ盤で聴いた『イーズィン・イット』。洗練されていて、スインギーで、黒っぽくてとにかくまいった。ことにA面1曲めのタイトル曲「イーズィン・イット」が途轍もなくカッコよく響いたのだった。こんなカッコイイ音楽をオッサンのものと決めつけてろくに聴かなかったとは! と、自分の不明を恥じたり後悔してもいたしかたないのだが、とりあえずベイシーのレコードをポツリポツリと買い集め始めた頃に当のベイシーが亡くなったのだった。1984年、享年79歳。遅れてきたジャズ・リスナーであるワタクシは、残念ながら生前のベイシーの姿には触れることはできなかったけれど、ベイシー楽団のリズムを刻み続けたフレディー・グリーンの生音は確かにこの耳で聴くことができた。


そんなゆるゆるのベイシー・ファン(?)にとっては、ベイシー楽団最盛期を記録したルーレット盤のアルバムが菅原氏の監修でCD化されるというのは朗報だ。菅原氏の導きでカウント・ベイシーの深く巨大な音の世界にどんどん分け入って行こうではないか、アラカンのわれら!


ところで、ヨシワラさんことタモリ氏の誕生日はカウント・ベイシーと一日違いですね。「あ、D先輩。俺もベージューですよ」なんておっしゃるのだろうか、タモリ氏。88歳(米寿)にはまだまだ遠いでしょう?!





タモリ

カウント・ベイシー

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