2015年09月16日
スポンサーリンク
2015年09月16日
本日、9月16日はマーク・ボランの命日である。
妖しいフォーク・デュオ、ティラノサウルス・レックスがロック化したT-レックスは事件だった。それまで英米のロックではユニセックスなアーティストはほとんどいなかったからだ。化粧が好きなミック・ジャガーがオカマっぽくふるまう場面もあったが、マーク・ボランの甘く震えながらささやく鼻にかかった声は、男にとって「男もイイな」と性の概念をトロけさせるヤバいものがあった。女子はみんなマークに夢中だったが、日本の男子ロック・ファンにも性的に多様な道を選ぶ可能性を与えたのがマーク・ボランだ。化粧はバンドに流行りだした。それが遠くビジュアル系まで繋がる。ラメも流行った。マークのまとう肩幅の広いラメのジャケットは、売れに売れ、重度のファンだった僕の千葉の中学のクラスメイトはジャケットだけを買い、完全に持ち腐れた。着ていける場所など千葉にはどこにもなかったからだ。
1971年秋「電気の武者」の発売直後は、加藤和彦のように耳の早い人が話題にしている感じだったが、72年初頭のシングル「テレグラム・サム」のヒットで日本のシーンには完全に火がついた。ビートルズ不在の穴を埋めた感があった。当時はレッド・ツェッペリンが王者だったが、ツェッペリンにはない性的アイドルの匂いがあったのだ。
歌舞伎の女形の伝統を持つ日本は、欧米よりもこうした存在に敏感だ。60年代末のグループサウンズでは、沢田研二やオックスの赤松愛が女性的オーラを発し、世界でも特異なジェンダー的状況を作りだしていた。
しかしマーク・ボランがGSをぶっ飛ばすようなインパクトがあったのは、その麻薬的音像である。それは薬物体験を持たない青少年も官能させる「ドラッギー」な響きに充ち満ちていた。60年代のサイケデリック・ロックはハッピーでアッパーな輝きはあったのだが、T-レックスは、精神のインナーワールドに直接響く、ダウナーな感触を持ち合わせていたことが画期的だった。アチラの世界はアッパーだけでは語れない。日本少年少女はマークから「心のアンダーグランド」を学んだのではないだろうか?
必殺のギターリフにストリングスのからむミディアムなグルーヴも特別だった。グラムロックは、スピード感やハードロック的ドタスタ感のインパクトに頼らない、ミドル・テンポの渋いブギーだ。まだまだグルーヴ音痴だった日本のロック・ファンをハイ・テンポにならずイケイケにさせた、さりげなく凄い功績。日本の少年少女をロックのグルーヴに入門させたのもマークではないだろうか?
そしてなんといっても、鼻声を「アイドルの声」という響きに昇格させた意義が大きい。一般的2枚目的な美声ではない、グニュっと低い声の印象がスターのテイストに塗りかえられた。72年8月1日に、郷ひろみがデビューするのだが、マーク・ボランのヒットは影響はしていないだろうか?声の妖しさには共通性がある。出典未確認だが、近田春夫が当時、郷ひろみを「和製マーク・ボラン」と評したという話しもある。1972年はマークと郷ひろみの当たり年なのだ。
ギターボーカル&パーカッションという編成については、ティラノサウルス・レックス時代からPANTA率いる頭脳警察が向こうを張っていた。ピックアップをとりつけたアコースティック・ギターとコンガという編成、PANTAとマーク、カーリーヘアの見た目が似ていた。頭脳警察の音楽は主張もビートも、T-レックスより激しかったが。T-レックスとなった頃、頭脳警察のステージもドラムを入れたバンド編成が増えた。マークとPANTAはロックのセックスシンボルという意味でも良き時代のライバルであった。
1966年9月3日は、ドノヴァンの「サンシャイン・スーパーマン」がビルボードの全米チャートで1位に輝いた日だ。それまでのパイ・レコードからエピック・レコードへと移籍、その第一弾として発表されたの...
本日5月31日は、レッド・ツェッペリンの偉大なるドラマー、ジョン・ボーナム(本名は:John Henry Bonham、愛称:Bonzo)の誕生日である。しかし1980年9月25日に突然の死によ...
5月のMayに9日の「ク」で、5月9日はメイクの日。2013年に制定された新しい記念日だが、ロックとメイクの関係は深く長い歴史がある。それどころか、メイクがロックを変えたと言ってもいいだろう。t...
4月24日はトニー・ヴィスコンティの誕生日。1944年生まれなので今年で73歳となる。 トニー・ヴィスコンティは、Tレックス、そしてデヴィッド・ボウイのプロデューサーとして有名だ。特にTレックス...
エディ・コクラン(本名Edward Raymond Cochran)は、1938年10月3日、ミネソタ州のアルバート・リーという小さな町で生まれた。エルヴィス・プレスリーやビル・ヘイリーがこじ開...
9月26日はブライアン・フェリーの誕生日である。初期のロキシー・ミュージックのころのブライアン・フェリーはまずグラム・ロックのスターの一人だった。お化粧したり女装したりヒカリモノを身にまとったり...
あの日、ロック後進国だった日本は、ロックがいかに自由でいかに美しいものであるのかを,初めて知ったのだった……。1971年9月23 日、キョードー東京が主催した「Rock Carnival ♯7」...
今から42年前の今日1974年5月30日に完成したサディスティック・ミカ・バンドの歴史的名盤『黒船』は、幕末の黒船来航をモチーフに「東洋と西洋の出会い」をテーマとしたコンセプト・アルバムで、その...
大滝詠一が同じ昭和23年生まれとして強く意識していた沢田研二。大滝ファンにも沢田ファンにとっても貴重な出会いが75年12月21日リリース沢田研二「あの娘に御用心」(作詞・曲:大瀧詠一編曲:多羅尾...
1971年7月14日から17日の3日間にわたり行われた「三里塚 幻野祭」。当時、その幻野祭に頭脳警察が出演した。今回のコラムはその頭脳警察・PANTA氏が当時のいきさつを記したFacebookか...
1973年に沢田研二は「危険なふたり」でソロ転向後初のオリコンNo.1を獲得。この年の日本歌謡大賞で見事大賞を勝ち取り、ソロ・シンガーとして確固たる地位を確立した。所属事務所の渡辺プロダクション...