2015年09月15日

GSの時代の幕開けを告げる「夕陽が泣いている」の大ヒット。それはスパイダースにとって終わりの始まりだった!?

執筆者:中村俊夫

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今から49年前(1966年)の今日9月15日は、ザ・スパイダースの通算7作目のシングル「夕陽が泣いている」がリリースされた日。その前年5月にクラウンより「フリフリ」でレコード・デビューしたスパイダースは、同年暮れに日本ビクターのフィリップス・レーベルと契約し、翌66年2月に移籍第1弾シングル「ノー・ノー・ボーイ」をリリース。4月には全曲オリジナル曲で構成された、当時としては画期的なアルバム『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』を発表するなど、64年のビートルズ日本デビュー以降、続々と日本で紹介されていったアニマルズ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、ローリング・ストーンズ、ホリーズ、キンクス、ゾンビーズ…といった英国のビート・グループたち(日本では十把一絡げで「リヴァプール・サウンド」と呼んだ)の影響下にある和製バンドの急先鋒として頭角を現していった。同時期にアニマルズやビーチ・ボーイズ、ピーター&ゴードン等の来日公演の前座を務めていたこともあって、洋楽ポップス愛好者たちからも注目を集めていたスパイダースは、まさに最新トレンドに敏感な音楽ファン注目の的だったのである。


しかし、スパイダースのリーダーであり、66年5月に設立したばかりのマネージング・オフィス『スパイダクション』の社長でもある田辺昭知はそんな状況に満足はしていなかった。音にうるさい連中の間では高い評価を受けているとはいえ、レコード・セールス的にはまだ成功と呼べる段階ではない現状を冷静に捉えていた彼は、決定打とも言える大ヒット曲を渇望していたのである。そのためにはこれまでビートルズの<流儀>を見習い、バンドのコンセプトとしてきた<自作自演>を一旦見直す必要があると判断。あえて外部のプロ作曲家を起用してのヒット曲作りを模索する。こうして白羽の矢が立てられたのが著名なヒットメイカーであり、当時、同じフィリップス所属のマイク真木に提供した「バラが咲いた」をヒットさせたばかりの<ハマクラさん>こと浜口庫之助だったのである。


ちょうど日活が浜口のヒット曲をジュディ・オングの主演で映画化した『涙くんさよなら』(監督・西村昭五郎)を制作中で、音楽を担当した浜口が映画の挿入歌として書き下ろした「夕陽が泣いている」を提供してきた。叙情歌謡的な曲調の新曲に、当初は依頼主の田辺を含むメンバー全員がそれまで自分たちの演奏してきた音楽との差異に面食らっていたが、<巨匠>の提供作品に異を唱えるわけにはいかず、さっそくバンドでアレンジに取りかかる。試行錯誤の上に井上堯之(当時は孝之)がナチュラル・ディストーションを効かせたギターのイントロとオブリガードを考案。なんとかスパイダースらしさを打ち出したアレンジが完成して、いざレコーディングに入るのだが、ここで思わぬ障害にぶち当たる。井上がイントロを弾いたとたんにスタジオのミキシング・エンジニアが血相を変えて「ギターの音が歪んでる」とNGを出してきたのだ。翌年モップスがデビュー曲「朝まで待てない」をレコーディングした時もイントロのファズ・ギターにエンジニアからクレームがつくというトラブルが生じているが、これが当時の日本におけるレコーディング現場の知識レベルだったのである。


なんとかエンジニアを説得して無事レコーディングは終了。先ず66年7月30日公開の映画『涙くんさよなら』のスパイダース出演シーンで使われた後、9月15日にシングル発売された(レコードを聴いた浜口が「イメージが違う」と烈火の如く怒ったという後日談もある)。すぐに海外発売も決定。「The Sad Sunset」のタイトルで英語詞ヴァージョンが制作され、そのプロモーションのため10月24日から、アムステルダム、パリ、ローマ、ハンブルグ、コペンハーゲン、ロンドンを廻るツアーに出発した。ロンドンでは人気音楽番組『Ready, Steady, Go!』に出演して「The Sad Sunset」を披露。ちなみにこの時、スペンサー・デイヴィス・グループも同番組に出演しており、親しくなったスパイダースはツアー中に英VOX社から提供されたアンプ機材一式を帰国の際にスペンサー・デイヴィス・グループに寄贈している。

 

11月14日、羽田空港に到着したスパイダース御一行を待っていたのは、送迎デッキを埋め尽くした無数のファンたちの凄まじい嬌声だった。スパイダースが留守中に「夕陽が泣いている」は大ヒットを記録。本人たちが知らぬ間に当代切っての人気バンドへと変貌していたのである。当時をふり返って<カッペちゃん>こと加藤充(ベース)は、「羽田に着くと飛行機の窓からもの凄い数の女の子たちが手を振りながら何か叫んでいるのが見えたので、てっきり外国から映画スターでも来日したのかと思いました。そしたら、なんと僕たちを出迎えに来たファンたちだったんです。ツアー中に日本のスタッフからの電話で「夕陽が泣いている」が売れているとは聞かされていたけど、まさかこれほどの騒ぎになっているとは夢にも思っていなかったんで驚きましたよ。その日から僕たちの生活は一変しました。何処へ行っても追っかけファンたちが待ち構えていて凄い騒ぎになってしまってね」と語っている。


「夕陽が泣いている」の大ヒットによってスターダムにのし上がったスパイダースだが、ブレイク前から彼らを支持していた洋楽ポップス・ファンたちは次第にスパイダースを離れていった。ムッシュかまやつは当時の状況を次のように証言する。「<夕陽~>でスパイダースは終わったんです。世間ではスパイダースの始まりでありGSブームの始まりだったけど、大好きな海外アーティストの曲を必死でコピーして来た自分の中ではひとつの火が消えたんですね。売れて大衆的になったことで、それまで付いてた洋楽ファンの男子たちはゴールデン・カップス等、よりマニアックなバンドへ流れていったし、新たに付いたミーハー・ファンたちは、その後タイガースが出てくると、みんなそっちへ流れて行っちゃった」スパイダースの出世作であり、GSの時代の幕開けを告げた「夕陽が泣いている」だが、スパイダースにとっては<終わりの始まり>というパラドックスを抱える問題作でもあったのだ。

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