2015年05月21日

極東より遠く離れてジュリーは「巴里にひとり」

執筆者:中村俊夫

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1973年に沢田研二は「危険なふたり」でソロ転向後初のオリコンNo.1を獲得。この年の日本歌謡大賞で見事大賞を勝ち取り、ソロ・シンガーとして確固たる地位を確立した。所属事務所の渡辺プロダクションはジュリーの次のステップとして海外市場への進出を画策。まずはシルヴィ・ヴァルタン「あなたのとりこ」の作者として知られるジャン・ルナールが作詞作曲を手がけ、マイク・ブラントが歌って1970年にフランスでヒットした「Mais Dans La Lumiere」の日本語カヴァーである「魅せられた夜」を73年11月21日にリリースすると同時に、ポリドール・インターナショナルを通じてフランス、英国、ドイツ等でのリリースも働きかけ、ヨーロッパでの反応を探っていった。翌74年1月、仏カンヌで開催された第9回『MIDEM』(国際音楽見本市)にジュリーを伴って参加した渡辺美佐副社長(当時)は、60年代にザ・ピーナッツのドイツ進出や伊東ゆかりのサンレモ音楽祭出場などで培ったヨーロッパの音楽業界人脈を駆使して精力的な売り込みを展開。これが功を奏してイギリス、フランスでの現地レコーディングと発売を前提とした新曲制作が決定するのである。


同年8月末に再び渡欧したジュリーは、まずはロンドンで当時「Sugar Baby Love」の大ヒットを放っていたルーベッツの制作チームのプロデュースの下、「The Fugitive(愛の逃亡者)」を含む13曲をレコーディング。その後、フランスに渡り、「Mon Amour Je Viens Du Bout Du Monde」(「恋人よ、僕は世界の果てからやって来た」という意味)など4曲を吹き込んだ。翌75年1月、シングル「The Fugitive」がイギリス、「Mon Amour~」(B面の「FugitiveKind」は「The Figitive」と同曲)がフランスでリリースされ、前者は惨敗に終わったものの、後者はフランス国内のラジオ・チャートで4位まで上り、約20万枚を売り上げる異例のヒットを記録。仏ゴールド・ディスク賞に輝いた。同年5月にはフランスでの第2弾シングル「Attends-Moi」、10月に第3弾「Fou De Toi」もリリース。それぞれ「Mon Amour~」同様にヨーロッパ各国で発売されている。


日本では「Mon Amour~」に山上路夫による日本語詞が付けられ「巴里にひとり」という邦題で、ちょうど40年前の今日1975年5月21日にリリース。フランスでの活躍ぶりが日本でも報道されたことで話題を呼び(元々、それがナベプロのジュリー海外戦略の目的だった)、オリコン5位まで上るヒットとなっている。筆者にとっても、ジュリーのソロ・シングル曲BEST 3に入る大好きな作品だ。 

沢田研二

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