2016年07月26日
スポンサーリンク
2016年07月26日
1970年代後半、西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎…所謂「新・御三家」の爆発的な人気も一段落し、ジャニーズ系もフォーリーブスの後継グループたちが今ひとつという国内男性アイドル不在の隙を突いて、大和撫子たちの心をわし掴みにしたのが、ベイ・シティ・ローラーズ(BCR)、クイーン、キッスといった英米のロック・バンドで、特にBCRはローティーン少女たちに熱狂的に迎え入れられ社会現象までになった。、当然その人気に便乗した “和製BCR”を謳うアイドル・バンドもいくつか登場してきたが、今から39年前の今日1977年7月26日に「ヘイ!アイ・ラヴ・ユー」でデビューしたレイジーもそんなバンドのひとつと世間的には見られていた。BCR風の衣装を纏ったデビュー曲のジャケット写真を見る限りでは、誰もがそう思って不思議ではないだろう。
しかし、彼らは元々グループ名の由来でもあるディープ・パープルの名曲を得意とするハードロック・バンドであり、レコード・デビュー時の平均年齢が16歳という若さにも関わらず、すでに地元の大阪では演奏力の高さで定評のある実力派バンドとして知られていた。そんな彼らがBCR然とした楽曲と衣装を与えられアイドル・ポップ・バンドとして世に送り出されてしまった…。それが、その後のレイジーの歩みに大きな影響を及ぼすことになるのである。
当時、Charやバウワウといった実力派若手ロック・アーティストがアイドル的人気も得て成功を収めていたが、彼らと互角に渡り合える演奏力を持ち、実際にライヴではディープ・パープルのコピーなども披露していたレイジーが、レコードやメディアでの露出ではもっぱらティーン向けアイドルでしかなかったという“二重構造”。それは、ライヴではローリング・ストーンズなやビー・ジーズなど洋楽カヴァーを主体としたステージを展開しながら、レコードでは外部の作詞家・作曲家が書いた歌謡曲を歌っていた、かつてのGS(グループ・サウンズ)にも共通する問題でもあったのだ。
そういえば、レイジーを取り巻く制作陣にはGSのOBたちが多い。所属事務所社長が元アウト・キャストの藤田浩一、プロデューサーが元タイガースの森本太郎、レコード会社の担当ディレクターが元パープル・シャドウズの岡村右といった具合である。前述の“二重構造”がそれと関係があるのかどうかは何とも言えないが…。
コマーシャルなポップ・アイドル路線を強いられる中で、ライヴでのパワフルな演奏、安定したテクニックは評判を呼び、特にギタリストの高崎晃(スージー)の鮮烈なプレイは同時代のプロ・ギタリストたちからも一目置かれていた。79年には彼らを以前から高く評価していた遠藤賢司が会長となって、男性ファン限定の「レイジー男だけのファンクラブ」が結成されるなど、玄人筋からも注目される存在となり、レイジーもそれに応えるかのようにアルバムの中で「フルカウント」「HOTEL」といったオリジナル・ハードロック作品を少しづつではあるが発表。80年には、その集大成ともいうべき本格的ハードロック・アルバム『宇宙船地球号』をリリースしている。
それまでのアイドル然としたアルバム作りから脱却し、メンバーの自作曲や作曲家&ギタリストの水谷公生(元アウト・キャスト~アダムス!)の提供楽曲で構成されたコンセプト・アルバム仕立てのこの作品で、レイジーは不本意なアイドル路線の呪縛から解放され、これからは本来の音楽性を極める活動を展開するものと誰もが思った。しかし、新たなスタートを切った時点で、逆にメンバー間の音楽的相違点が強く浮き出るようになり、1981年5月に解散してしまう。
解散後、ヴォーカルの景山浩宣(ミッシェル)は「影山ヒロノブ」の芸名でソロ・シンガーに転身。アニソンの第一人者として成功を収める。残りの4人のメンバーは、高崎とドラムの樋口宗孝(デイビー/2008年11月30日没)が「LOUDNESS」を結成。世界のメタル・シーンに進出していく。ベースの田中宏之(ファニー/2006年9月1日没)とキーボードの井上俊次(ポッキー)はポップ・ロック・グループ「ネバーランド」を結成する。こうしたメンバーの動向を見ていると、レイジーの抱える “二重構造”がそのまま二手に分散していったようで、とても興味深く思えるのだ。
1979年2月21日にリリースされ、3月12日には自身3作目のオリコン1位を獲得した西城秀樹「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」。本人がロスで聴き、気に入り、ステージで歌っていたものだが、...
遠藤賢司が「ほんとだよ b/w 猫が眠ってる」でデビューしたのは、1969年の2月1日のこと。東芝のEXPRESSレーベルからリリースされたこのシングル盤は、モノクロームで描かれたポートレートが...
1976年12月14日はビートルズの再来とまで言われたベイ・シティ・ローラーズが初めて武道館公演を行った日である。1970年代、ベイ・シティ・ローラーズの人気は凄まじかった。ロック雑誌はもちろん...
フレディ・マーキュリーが今も生きていたら? ローリング・ストーンズみたいにクイーンで世界中をツアーしながら、あの圧倒的なパフォーマンスで皆を魅了しているだろうか。ソロになって、ジャンルを超えたコ...
ジョン・レノンの「イマジン」やビートルズの「ヘイ・ジュード」「イエスタディ」を抑え、英国史上最も人気のあるシングルとして2002年にギネスにも認定された「ボヘミアン・ラプソディ」がクイーンの5枚...
同じ事務所の後輩ワイルド・ワンズやタイガースほどの少女ウケする派手さには欠けるものの、その安定した演奏力で実力派GSとして玄人筋から高い評価を得ていたアウト・キャスト。現在も活躍する音楽界の重鎮...
7月19日はあのクイーンのギタリスト、ブライアン・メイの誕生日。ブライアンで印象的なことと言えば、やはり“レッド・スペシャル”と命名されたギターを、古い暖炉の木材を再利用して自ら作っていることだ...
「麻里ちゃんはヘビィメタル」という糸井重里のキャッチコピーで登場した83年のデビューは、衝撃的ですらあった。革ジャンにスタッドの付いたベルトやブレスレットなどに代表されるように、ハードで男くさい...
1973年の今日、7月13日にクイーンの記念すべきデビュー・アルバム『QUEEN』がイギリス(EMI)で発売された。その1週間前の6日にはシングルの「 Keep Yourself Alive c...
30度を超える真夏日が続いた72年8月。灼熱の日本にディープ・パープルは降り立った。東京公演が行われた8月17日。日本武道館には、数多くのハードロック・ファンたちが詰め掛けていたうえに、武道館の...