2016年07月27日
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2016年07月27日
1987年(昭和62年)の本日7月27日オリコンチャート1位を記録したのは、渡辺満里奈「夏休みだけのサイドシート」。
おニャン子クラブ会員番号36番・渡辺満里奈は、おニャン子では初めてとなる1970年代生まれのメンバーのソロデビューを、86年10月「深呼吸して」で果たしている。おニャン子の末っ子的位置付けでありながら、所属レーベルはこちらもおニャン子初となるEPIC・ソニー(当時)。過去にも藤原理恵(のちにC.C.ガールズのメンバーとなり一世を風靡する)など、アイドルを手がけてはいたが、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのTM NETWORKを筆頭に、バービーボーイズ、佐野元春、大沢誉志幸などを擁し、当時はまだ「ニューミュージック」扱いが続いていた日本のポップスの最前線に君臨していた一大勢力であった。デビュー曲の作曲も、「シャイニン・オン君が哀しい」のヒットを放ちEPIC王国の一翼を担っていたLOOKのメンバー、山本はるきち(プログレ界の大物、KENSOでも活動)が手がけており、ジャケットからしてポニーキャニオンやCBSソニーから出ていたおニャン子関係のレコードと一味違う、スタイリッシュな感覚を漂わせていた。このデビュー曲から1位と好発進し、山口百恵が保持していた女性ソロ歌手のオリコン1位獲得最年少記録を15歳と11ヶ月にして更新したのである。
「ホワイトラビットからのメッセージ」「マリーナの夏」と続けて1位に送り込み、続く4枚目のシングル「夏休みだけのサイドシート」で再び山本はるきちを起用。作詞は初めて秋元康の手を離れ、同じくEPICの歌姫・小比類巻かほるにヒットを提供し頭角を現していた麻生圭子に託された。ひと夏のロマンスを甘酸っぱく歌い込んだこの曲は、87年夏の哀愁を永遠にファンの心に刻み込んだかもしれない。
そう、この翌月の最終日、8月31日を持って、2年に渡り日本中を席巻したおニャン子シンドロームの発震源、「夕やけニャンニャン」の放映が幕を閉じたのだ。
アイドルポップスの歴史全体から見ると、キャンディーズ解散や百恵結婚に比べて「分岐点」的な意味合いは薄いと感じられるが、確かにこの頃流れは大きく変わっていた。前回南野陽子の項で書いたように、音楽ソフトの主流がコンパクトディスクへと徐々に移り変わり、リスナーはより「背伸び」した音楽を求め始めるのだ。今振り返ると信じられないけど、キラキラしたデジタルサウンドは「ちょっとだけ大人」を感じさせたものである。
この「夏休みだけのサイドシート」は、初登場1位を飾った翌週、ベスト10圏外の13位まで弾き落とされ(オリコン史上初めての激落記録となった)、アイドルの持続力も儚くなったものだとため息をつかせた。代わって1位の座に立ったのは、BOØWY「マリオネット」である。いよいよロックサイドの逆襲が始まったのだ。その翌週、隙間を縫って1位を射止めた渡辺美奈代「アマリリス」が、実質的にはおニャン子関係シングルとして最後のNo.1である。おニャン子(会員番号38番)の幻影から脱皮した工藤静香が7曲のNo.1ヒットを放ち、80年代最後のトップアイドルとして疾走を開始したのは、「夕ニャン」最終回放映と同じ日、初のソロシングル「禁断のテレパシー」をリリースした時からだった。
さて、おニャン子解散後の渡辺満里奈は、その落ち着いた声質に見合ったポップな楽曲を次々と与えられ、所謂通受けアイドルとして新しいリスナー層を切り開くことになる。特に、EPICの次世代歌姫・遊佐未森を手がけ注目を浴びていた外間隆史作曲による「虹の少年」(89年7月)は圧巻。遊佐の2ndアルバムでキーフレーズとなった「ソ・ラ・ミ・ミ」を引用しているところはニクい。さらに90年には、当時オリーブ少女達の心を捉えて離さなかったフリッパーズ・ギターが手がけた「大好きなシャツ」を発表。オリーブ少女達に複雑な感情を抱かせながらも、後に渋谷系ムーヴメントが一般化した時には、その中に於けるガールズポップの雛形的な例として改めて注目を浴びている。
そんな彼女のポップ求道者路線の最終到達地点となったのが、大瀧詠一がプロデュースを手掛けた96年のアルバム『Ring-a-Bell』だ。アイドル全盛期に山口百恵や松田聖子に提供した楽曲で、変化球をばしばし投げてポップス好きの心をくすぐった大瀧が、96年という大衆音楽大量消費時代を迎えて、敢えて自らのアメリカンポップス黄金時代体験をフルに反映した、ど直球な作品をかましに来たのである。満里奈の歌声は、そんなど直球なポップスにこそ映えるものだと、改めて思い知らされた。
「深呼吸して」「ホワイトラビットからのメッセージ」「マリーナの夏」「夏休みだけのサイドシート」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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