2016年12月01日
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2016年12月01日
『氷の世界』は、井上陽水の3枚目のオリジナル・アルバム。
1973年12月1日にポリドール・レコードよりリリースされた。
1973年9月21日に「心もよう/帰れない二人」が発売された。
同時期にアルバムが制作され、上記以外にも収録曲の「白い一日」、「桜三月散歩道」、「自己嫌悪」、「Fun」などは録音済だった。プロデューサーの多賀英典氏はアルバム用の残り、数曲をロンドンでレコーディングすることを決定。
当時、日本人アーティストの海外レコーディングは珍しい時代だった。
スタジオはビートルズが「Hey Jude」、「Dear Prudence」、「Savoy Truffle」、「Honey Pie」などの「ザ・ビートルズ(通称:ホワイト・アルバム)」収録の数曲をレコーディングした有名なトライデント・スタジオ。
タイトル曲の「氷の世界」のアレンジは、ローリング・ストーンズの「悲しみのアンジー」のストリングス・アレンジャーを務めたニック・ハリソン。
しかし、レコーディングの打ち合わせの段階で、突然、ニック・ハリスンはストリングスが専門で、リズム・セクションのアレンジはしない人だということが判明した。
多賀氏の、「ハイ、星君、出番だよ」ということで、急きょ、同行していたアレンジャーの星勝氏にアレンジを依頼。
星は、基本的に「氷の世界」のアレンジのイメージは、スティーヴィー・ワンダーの「Superstition(邦題:迷信)」のようなイメージにしよう、ということはニック・ハリスンとの打ち合わせ前に決まっていたので、早速、クラヴィネットを手配した。まだ現地ではその楽器が無く、調達できたのはそれより前のクラヴィコードだった。
何とかイメージに近いサウンドを作ることができた音源に、ニック・ハリスンのアレンジでオーバー・ダビングした。すごい迫力の作品が出来上がった。ほかに、ニック・ハリスンがアレンジで参加したものは「チエちゃん」、「Fun」の計3曲。「小春おばさん」、「あかずの踏切り」、「おやすみ」はすべて星勝のアレンジ。
ロンドン・レコーディングのテープを日本に帰って来てから、ミックス・ダウンし、すでに録音されていた曲とのバランスが合うようにマスタリングした。
CD時代になってから、ミリオン・セラーはそれほど珍しい出来事ではなくなったが、当時は大卒の初任給が5~6万円程度であり、LPレコードの¥2000は、まだ学生が中心の陽水のファン層には高価であった。
LPレコードのそれまでの最高に売り上げたものは、森進一の『影を慕いて』の60万枚だった。
発売された陽水のアルバム『氷の世界』は、期待をはるかに超えたセールスを記録した。
オリコン週間LPチャート第1位が1973年12月17日 から1975年6月2日までの間で、5度も1位に返り咲、通算35週の1位を獲得し、100週以上、ベスト10に留まるというロング・セラーを続けた。
8月には、日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の記録を打ち立てた。
100万枚という数字は、当時としては異常な売り上げだった。
それを記念してポリドール・レコードの社長が自らプレスしたという記念のLPが100枚限定で作られた。
その写真をお見せすると、アルバム用の熨斗紙に包まれた段ボールケースに、大入り袋が添付されている。レコードの盤のレーベルは銀色のレーベルだった。
久しぶりに、取り出して開いてみると、大入り袋には千円札が入っていて、そのピン札の千円の肖像は伊藤博文だった。
発売から40周年の2013年11月28日にNHK BSプレミアムで『井上陽水 ドキュメント"氷の世界40年"』という番組が放送された。
発掘されたマルチ・テープを聴きながら、井上陽水氏、星勝氏、安田裕美氏と、私、川瀬泰雄が、なぜ「氷の世界」が、こんなにブームになったかを、様々な有名人の意見などを参考に、検証するという内容だった。
その時、発掘されたマルチ・テープに入っていたレコーディングのトラック表をみると「心もよう」は「普通郵便」、「帰れない二人」は「僕は君を」などと仮題が書いてある。
勿論、何故ブームになったかなど、検証したところで、理由が判るわけもなかったのだが、携わっていた全員が、何かを信じて一生懸命だったことだけは、間違いのない事実だった。
≪著者略歴≫
川瀬泰雄(かわせ・やすお):東京音楽出版(ホリプロ)で井上陽水、浜田省吾、山口百恵など、キティ・レコードでH2O、岩城滉一、吉永小百合などの音楽プロデュースを担当。独立後は、松田聖子、 岩崎宏美、裕木奈江などを制作。約 1,600曲を手がけた。『真実のビートルズ・サウンド』、『プレイバック 制作ディレク ター回想記』、『ニッポンの編曲家』の著書もある。
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