2015年11月26日
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2015年11月26日
1984年11月26日、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」がオリコン・チャートで1位を獲得した。同年11月14日リリースのシングル10作目、通算6回目の1位作品である。
中森明菜は1965年生まれ。82年5月1日、ワーナー・パイオニアから「スローモーション」でデビューした。新人アイドルが豊作だった“82年組”の1人である。デビュー曲は来生えつこ・たかお姉弟の手によるもので、2作目の「少女A」では売野雅勇と芹澤廣明に交替。以降は来生姉弟と売野作詞作品が交互に続き、楽曲もメロディアスなバラードと8ビートのロック・ナンバーで、少女の純粋さと不良性の両面を1曲ごとに対比させてきた。まず固定のイメージを植え付けたいと考える新人アイドルのディレクションとしては、大胆な方策である。
6作目「禁区」で細野晴臣を作曲に起用してからは、「北ウイング」の林哲司、「サザン・ウインド」の玉置浩二、「十戒(1984)」の高中正義と1作ごとに作曲家を変え、歌唱表現の幅を拡げてきたが、続く「飾りじゃないのよ涙は」は作詞・作曲とも井上陽水が手がけた。作詞と作曲が同一人の楽曲を歌うのは、シングルでは初のこと。
その約1年前、フジテレビの『ミュージック・フェア』で中森明菜と井上陽水は初めての競演を果たしている。ここで2人が歌ったのが「銀座カンカン娘」で、陽水はこの時の印象をもとに「飾りじゃないのよ涙は」を作ったのでは、とも語られている。
ただ、現在のアイドル・シーンのように、コンポーザーがプロデュース部分を担う例はほとんどなかった時代のこと。アイドルがシンガー・ソングライターに、作詞と作曲の両方で提供を受けた場合、表現力に乏しい歌い手では、作り手の強固な世界観に染められて、吞み込まれてしまう怖れもある。
しかも、クセの強い言葉選びがメロディーと一体化していることで、独自のワールドを作り上げている井上陽水。タイトルからして倒置法で、コードも5つしか使用していない、シンプルで起伏の少ないメロディーである。だが、シャッフルのリズムに軽やかに乗る明菜は、前半をクールに客観視し、サビで得意のビブラートを全開にする歌唱法で応え、投げやりで奔放な少女像を、次第にエモーショナルに転化させていく。従来の突っ張った女の子とピュアな少女の二面性を1曲の中に共存させるというポテンシャルの高さを発揮したのだ。
発売から1ヵ月後の84年12月21日には、陽水自身がセルフ・カヴァー・アルバム『9.5カラット』で早くも「飾りじゃないのよ涙は」を歌っているが、陽水の歌は大人の女性が過去を回想するような、ハードで突き放した解釈。作り手と歌い手がそれぞれの表現方法でぶつかる真剣勝負の醍醐味といえよう。
デビュー以来、中森明菜のシングルA面曲は23作連続、一貫してマイナー・コードである。そういった形でイメージの統一が図られているのだが、作家が常に交替し、1曲ごとにスタイルが変化するため、アイドルの定番路線である“少女の成長”というストーリーは存在しない。彼女はどんなタイプの曲に出会っても、作り手や楽曲に自身を委ねず、挑みかかるような能動性で自分の世界に引き込んでいくが、井上陽水との出会いでその特性が顕著になった。「飾りじゃないのよ涙は」は、間違いなくアイドルから本格シンガーへの分岐点だ。明菜はこの曲で一瞬立ち止まり“クールな少女の中にあるかすかな熱”を歌い、以降はラテン、ブギウギ、タンゴ、エスニックなど多彩なジャンルを吸収し、様々な女性に憑依して情熱、哀愁、悲劇までを激しい振幅で歌い、女の多面性を表現していく。80年代に入りアイドルと演歌に二極分化し始めた歌謡曲シーンの中で、大ヒットを連発しながら歌謡曲の枠組を拡げようと試みていたのが、中森明菜という歌手ではなかったか。そのシンガーとしてのピークはこの曲から始まったのだ。
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