2016年10月14日
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2016年10月14日
1974年10月14日、井上陽水の4枚目のアルバム『二色の独楽』がオリコンのアルバムートで1位を獲得した。
今回は『二色の独楽』について書いてみます。
前年にリリースされた『氷の世界』の異常とも言える盛り上がりの影に隠れて、あまり目立たなかったのですが、私自身のあくまでも、スタッフ・サイドの個人的な感想ですが、『氷の世界』と同等、あるいはそれ以上に傑作だと思う、大好きなアルバムです。もし、『氷の世界』がビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』だとすると、『二色の独楽』は『Abbey Road』だと思います。
約40日間のロサンゼルスのA&Mスタジオでのレコーディングは僕自身、その後のレコーディングでどんなことが起きても対処できるという自信がついたレコーディングでした。
『氷の世界』がチャート1位を獲得し、それまでの陽水の全てのアルバムが同時にチャートを上がっていくという状態でした。次のアルバムはロサンゼルス録音です、という発表だけで、全国のディーラーからの注文が殺到しました。まだ陽水は1曲も作っていない状態だというのにです。アルバムの注文は一人のアーティストに割り当てられるプレス工場などの限界をはるかに超えた数でした。とりあえず初回プレスは30万枚という決定がされ、あとは順次プレスしていくということでした。
なんと、レコーディングの告知の段階で売り上げが最低でも30万枚が確約されていました。
そんなこともあり、プロデューサーの多賀氏を先頭に、予算の心配なしに、徹底的に良い作品を作ろうという意識でレコーディングの打ち合わせが始まりました。当然、星勝氏が大半の曲をアレンジすることは勿論なのですが、アメリカのアレンジャーにも依頼することになりました。勿論、スタジオやミュージシャンも超一流の人たちが選ばれました。
1974年6月20日、19時30分、我々スタッフを乗せたジャンボ機が羽田を出発。およそ7時間後、経由地のハワイに到着。日付は同じ6月20日の早朝7時ころ。まだロサンゼルスへの直行便は無い時代です。
入国管理局とのちょっとしたトラブルがあり、そのために時間を取られ、息つく間もなく、目的地ロサンゼルス行きに乗り換えです。またまた、約7時間のフライト、それでも何とか、ロサンゼルス空港に到着しました。準備のため、一足先に出発していた、プロデューサーの多賀さんと、アレンジャーの星勝氏たちが出迎えてくれました。早速、空港で借りた3台のレンタカーに分乗して、レコーディングの間の住み家になるコンドミニアムのあるサンセット通りに向かいました。
翌日、1日休日をとってからレコーディングということでしたので、陽水とサンセット通りからハリウッド通りあたりを散歩し、ホテルに帰ってくると、多賀さんから連絡があり、打ち合わせが入ったので、出かけるよ、ということでした。
多賀さん、陽水、星君らと近所のレストランに行き、打ち合わせの相手であるジャック・ニッチェ氏に会いました。古くはフィル・スペクターのお抱えアレンジャーで、ロネッツの「Be My Baby」のアレンジもした人です。世界的に有名で偉大なアレンジャーなので、どんな人かと緊張していたのですが、一見、小室等さんのような風貌の穏やかな人だったので一安心でした。早速、彼がアレンジする曲について、打ち合わせが始まりました。
陽水は曲についての作った時のイメージを語り、それについて、ジャック・ニッチェ氏がアレンジの方向性を語るという具合で、すごくいいムードのうちに、レコーディングの第1歩が始まりました。
翌日、朝10時にサンセット通りにある、カーペンターズで有名なA&MレコードのAスタジオに入り、リズム・セクションのレコーディングがスタートです。最初は、星君のアレンジ曲からレコーディングです。
やはり、期待通りのスゴいリズム感なのです。
エンジニアのヘンリー・ルイ氏はジョニ・ミッチェルやトム・スコット&LAエクスプレスなどを筆頭に、多数のアーティストのプロデュースをしている人でした。
仕事が的確で、優秀なエンジニアだと思っていたので、あとからプロデューサーだったことを知って、僕たちは非常に驚いた次第です。マリブ・ビーチの海際の崖上にある、素晴らしい、ご自宅にも招待してくれました。この仕事では僕たちプロデュース・チームを立ててくれ、自分はエンジニアに徹してくれていました。
ミュージシャンも超一流です。
Guitar :Jesse Ed Davis、Dennis Budimir、Ray Parker Jr.、David T.Walker、Louie Shelton、安田裕美、井上陽水
Steel Guitar :Orville Red Rhodes
Drums : Edward Green、Harvey Mason
Bass :Wilton Felder、Max Bennett、Scott Edwards、Reine Press
Keyboards :Joe Sample、Larry Muhoberac、Clarence Mcdonald、Peter Robinson、Jack Nitzsche
Percussion :Joe Clayton、Milt Holland、Alan Estes、Gary Coleman
以上のように、クルセイダーズのメンバーのジョー・サンプルを筆頭に、超有名ギタリストのデヴィッド・T・ウォーカー、バリー・ホワイト&ラブ・アンリミテッドのメンバーだったデビューしたてのレイ・パーカーJr.やジョージ・ハリスンのバングラデシュのコンサートに参加したジェシー・エド・デイヴィス、等々。どのミュージシャンの経歴を検索してもすごい経歴が判ります。
アレンジャーも前述のジャック・ニッチェと、ジャック・ニッチェがフィル・スペクターの元を離れたあとにそのポジションについた、ジーン・ペイジです。ジーンもラブ・アンリミテッドやシュプリームスのアレンジャーでもあります。
兎に角、強力なメンバーが演奏するのです。悪いわけがありません。こんな風にレコーディングは進んでいきました。
さすがにA&Mスタジオは毎日のように、有名アーティストに会うことが出来ました。
同時期にアルバムをレコーディングしていたカーペンターズを筆頭に、後に「ウィー・アー・ザ・ワールド」の撮影がおこなわれた大きなホールではラリー・カールトンがトム・スコットとライブのリハ―サルをしていたり、A&Mの名前の「A」の主ハープ・アルパートがティファナ・ブラスと家族と一緒にリハーサルを兼ねたライブのようなことをやっていたりと、スタジオのミュージシャンたち以外にもすごいメンツが登場します。
ジョー・サンプルにカッコいいフレーズだけど歌とぶつかっていて、ちょっと歌いにくいから直してくれなどと、注文を付けたりの毎日、スリルも満点の贅沢な40日間のレコーディングでした。
星勝・ジャック・ニッチェ・井上陽水 (写真提供:川瀬泰雄)
以上が抜粋ですが、書く事が、たくさんありすぎてページが足りません。別の機会にこの続編を書きたいと思います。気長にお待ちいただければと思います。
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