2015年08月29日

「八月の濡れた砂」と石川セリ

執筆者:鈴木啓之

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本日8月29日は映画監督、藤田敏八の命日である。


華やかな大阪万博も前年に終わり、高度経済成長時代も終焉を迎えようとしていた1971年、祭りのあとの日本には70年代という新たな時代の文化が次々に芽生えていた。世界的な視点で見れば、現在のネット社会の起点となるマイクロプロセッサが誕生するなど、時代の大きな転換点だったといえる。国内では安保闘争も徐々に下火になり、エネルギーを持て余した若者たちが捉えどころのない空虚感を抱えていた。俗にいうシラケ世代である。1956年に無軌道で享楽的な若者の生態を描いた石原慎太郎の小説『太陽の季節』が日活で映画化され、俳優・石原裕次郎のデビュー作としても話題になったが、15年後に同じ日活で若者たちの青春が活写された映画『八月の濡れた砂』が公開されたことは、非常に意味がある。

『八月の濡れた砂』と、同時上映作品の『不良少女魔子』は、その直後にロマンポルノ路線へと転化していく同社が、旧体制の下で最後に製作した一般映画であった。大映と統合されたダイニチ映配からの最後の配給作品ともなる。監督は、70年代に青春映画の佳作を数多く世に送りだした藤田敏八。それ以前には、「野良猫ロック」シリーズ、以降も東宝で『赤い鳥逃げた?』や『戦争を知らない子供たち』、さらに日活で『赤ちょうちん』『妹』など、形こそ変われど、若者が主人公の作品を撮り続けた氏のフィルモグラフィの中でも際立った傑作として名高い。公開当時に大学生前後だった世代からの共感は著しく、とりわけ厚い支持を得ている。主な出演者は村野武範、テレサ野田、赤塚真人ら。若き日の地井武男の姿も見られる。主人公の西本清役には、当初、沖雅也が予定されていたが、撮影開始直後に事故で降板したため、代わりに広瀬昌助が主役を演じたのだという。

湘南を舞台に、全編に漂う退廃的で独特な空気感は、同世代の俳優たちの演技力と、リアルな藤田演出の賜物であろうが、作品の魅力を支える欠かせない要素となっているのが音楽である。最も有名であろう、所在なく海上に漂うヨットを上空から捉えた俯瞰のシーンに流れるのが、石川セリが歌った映画と同名の主題歌「八月の濡れた砂」。映画音楽を担当した、むつひろしの作曲による。ザ・キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」や、後にはさくらと一郎の「昭和枯れすすき」などを手がける氏にとって、この「八月の濡れた砂」も代表作のひとつに挙げられる。作詞の吉岡オサムは、後に「天城越え」や「命くれない」など、演歌の傑作を多数世に送りだす吉岡治の旧筆名であるが、幅広いジャンルで活躍した氏の豊かなセンスはポップス系の作品においても遺憾なく発揮された。山下達郎「LET'S DANCE BABY」も氏の作詞と聞くとちょっと意外に思われるのではないだろうか。

 

歌手・石川セリにとっては、カップリングの「小さな日曜日」とともに、これがデビュー・シングルとなった。彼女のシングルでは、後に夫となる井上陽水から贈られた「ダンスはうまく踊れない」もよく知られるところだが、瑞々しさの点において、デビュー盤の歌唱は圧倒的な魅力を放っている。「八月の濡れた砂」は曲だけを聴いても惹きつけられるが、映画の場面と併せて聴くと、その魅力はさらに倍増する。どちらかといえば歌謡曲寄りといえる「八月の濡れた砂」が冒頭に置かれた彼女のファースト・アルバム『パセリと野の花』は、それ以外の11曲をすべてピコこと樋口康雄が作・編曲しており、氏の作曲活動における極めて初期の作品にあたる。石川セリとは、ボーカル・インストゥルメンタル・グループ“シング・アウト”のメンバーで一緒だったという経緯がある。彼女のアンニュイな声の特性をよく理解した上での楽曲提供が功を奏して、名盤誕生と相成った。その後も多くのアルバムがレコーディングされ、仲が良いことで知られるユーミンからは、荒井由実時代から複数の楽曲を提供されている。それらすべての始点となった「八月の濡れた砂」は、毎年夏の終りに聴きたくなる名曲。藤田敏八監督の命日が8月29日というのも不思議な符合である。

八月の濡れた砂

石川セリ

藤田敏八

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