2016年11月30日
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2016年11月30日
ぼくが初めて岡本おさみさんの歌のことばに接したのは、1971年の8月、渋谷の小劇場ジァンジァンでの吉田拓郎の3日連続ライヴだった。拓郎はこのライヴの直前に中津川の全日本フォークジャンボリーのサブ・ステージで「人間なんて」を2時間演奏するという“偉業”を敢行。そのニュースを伝え聞いていたファンは熱狂を腹に抱えて狭い会場に詰めかけていた。3日間のライヴは、初日がソロ、2日目がミニ・バンドと、そして3日目は六文銭とのジョイント、という構成。その初日でのことだった。
「岡本おさみという人が変な歌をつくりまして……」
そう言ってうたわれたのが「ハイライト」だった。ぼくは仰天した。
歌は、タバコ好きの亭主と、それに我慢ならない妻との確執が一見コミカルに描かれていくのだが、ラスト、亭主が妻にもタバコをすすめてみたら、差し出したそのタバコをいっきに吸って煙を飲み込んでしまった、というようなやり取りで終わる。
煙を飲み込んじゃう! ぼくはゲラゲラ笑いながら、なんだか腹の底が落ち着かなかった。夫婦という関係の、ある種の薄気味悪さといったものに揺さぶられたのだろう。
この「ハイライト」と「花嫁になるルミへ」(レコード化に際しては「花嫁になる君へ」)、そして泉谷しげるに書いた「義務」が作詞家・岡本おさみの出発点となる。
以降、岡本は特に吉田拓郎とのタッグでいくつもの名曲を生み出していく。ぼくは一度無礼にも岡本に「なんであんなに次々とすごい歌が生まれたんですか?」と訊いたことがある。彼の答えは「だって拓郎が次々とすごい曲をつくってきたから……」というものだった。
その時期、岡本が常に拘っていたのが「暮らし」だった。
「拓郎にどんな型でもいいから、まず暮しの歌を歌ってほしくて」(『新譜ジャーナル別冊よしだ・たくろうの世界』1972年 自由国民社)。
「暮しそのものの、吹き溜りから歌われるところに、強さがあると思う」(『新譜ジャーナル別冊泉谷しげるの世界』1972年 自由国民社)。
そしてこうも言う。
「イデオロギーや理論や集団行為ではなく、個人であることしか唄は唄であり得ないのだから」(引用同上)
時代は政治の季節が終焉を迎え、若者たちは自分の新しい居場所と未来を探し始めていた。「個」という自由と孤独、そこに拘り続けたからこそ、「暮らし」に根ざしながらも岡本の作品は当時続出した「四畳半フォーク」には転ばなかった。傑作「制服」の切実さは驚異的だ。
次々とヒット作/話題作を生み、作詞の依頼が激増したのにうんざりしてか、あるいは印税のおかげで生活の自由を得たからか(岡本はこの点について著書『ビートルズが教えてくれた』――1973年 自由国民社――のあとがきで吉田拓郎に謝意を記している)岡本はこの頃から頻繁に旅に出るようになる。「20日旅に出て10日家に帰るというような旅だったけど」(『中州通信』2004年1月号)。そんな旅暮らしからは、時を経ずして記念碑的な傑作が生み出される。言うまでもなく「落陽」と「襟裳岬」だ。
「落陽」では、北への旅を終えて、普段の暮らしへと帰っていく船上の男と、そんな彼を埠頭で見送る、帰るところなど持たないフーテン暮らしの博打打ちの老人との情景が鮮やかに描かれる。
「襟裳岬」は襟裳に旅した男と地元の昆布採りの人たちとの交歓の歌だが、2番では唐突にその旅から帰った主人公の日常のシーンがはさみこまれる。旅とは、帰るべき暮らしを持つ者への、贈り物のようなものなのだろう。
蛇足だが、森進一のうたった「襟裳岬」は大ヒットを記録し、1974年の第16回日本レコード大賞を受賞している。授賞式にジーパンとダンガリー・シャツで登場した拓郎のかっこよさをぼくは忘れられない。
こうして押しも押されぬ人気作詞家となった岡本は、以降、タッグを組むミュージシャンの輪を拡大させながら、作品を産み出してゆく。いわゆる大ヒットこそ生まれなかったものの、そんな歌の数々は多くの人の心を揺らし続けていった。個人的にはSIONとのコラボレーション、歌ではネーネーズの「黄金の花」などがとりわけ印象に残る。
後年岡本は、舞台の世界に創作の場を移して活発な活動を続けていた。が、そんな彼に突然の死が訪れる。2015年11月30日、心不全だった。享年73歳。
かつて岡本は「最終的には目立たなくて、ありふれた一庶民としてうずもれてしまって、作品だけが残るなんてのが理想かな」(前出『ビートルズが教えてくれた』)。と語っていた。
そしてまさに岡本の願ったように、今夜もこの国のあちこちで、たくさんの男たちが岡本の産み出した歌の数々を、声を振り絞ってうたっている。
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