2017年04月10日
スポンサーリンク
2017年04月10日
和田アキ子といえば、芸能界の御意見番として泣く子もだまる存在であり、1970年代に出演したバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』で繰り広げられたゴッドねえちゃんのキャラクターそのままに君臨して、常にエンタテインメントの第一線で活躍を続けてきた。女優・タレントとしてはもちろんのこと、和製R&Bの道を切り拓いた実力派歌手としても高い評価を得ている。4月10日は今や芸能界の重鎮のひとり和田アキ子の誕生日。67歳になったベテラン歌手は今なお元気に歌い続けている。
大阪・天王寺に生まれ育った現子(本名)は、小学生時代から洋楽に興味を持ち、15歳になる頃にはジャズ喫茶やゴーゴー喫茶に出入りするようになって、ステージで歌を披露する機会も増えていったという。女性には珍しい170cmを超える長身とパワフルな歌声が評判を呼び、当時はまだ堀プロと表記していたホリプロの堀威夫社長(当時)から直々にスカウトされて歌手デビューが決まる。読みづらい名前をカタカナにして和田アキ子と命名したのも堀氏であった。デビュー曲となったのは1968年10月に発売された「星空の孤独/バイ・バイ・アダム」。キャッチフレーズは“和製リズム&ブルースの女王”。当時の歌謡界にはまだ早すぎたのかヒットにこそ至らなかったが、続く2枚目のシングル「どしゃぶりの雨の中で」のヒットでスターへの仲間入りを果たした。それからは映画 『女番長 野良猫ロック』に主演格で抜擢されたり、4枚目のシングル「笑って許して」をヒットさせてNHK紅白歌合戦に初出場したりと活躍著しく、日本人なら知らない者はいないくらいまでのトップスターへと成長を遂げてゆく。
歌手としての評価をとりわけ高めたのは、1972年に出された通算11枚目のシングル「あの鐘を鳴らすのはあなた」であろう。デビュー曲も手がけた阿久悠の詞と、森田公一の曲が見事に融合した渾身の作は、第14回日本レコード大賞において、最優秀歌唱賞の栄誉に輝き、自他共に認める和田の代表曲となった。涙の受賞シーンは日本歌謡史の屈指の名場面として忘れられない。しかしながら、その次のシングルとなった12枚目の「夏の夜のサンバ」がまた凄い。「あの鐘を鳴らすのはあなた」と同じ作家陣であるにも拘らずまったくタイプの異なるアップテンポのサマーソングで、和田のダイナミックな唱法も冴えを見せる。なんてったってハッシッシなのだから、やっぱり阿久の感覚は凄いと唸らされてしまうのだ。その後も歌謡曲的な作品と並行しつつ、細野晴臣が曲を提供した「見えない世界」や、宇崎竜童による「もっと自由に」といった、他者には歌え無さそうな技巧に優れた楽曲に、歌手・和田アキ子の実力とセンスが垣間見られるのである。ホリプロの後輩・浜田省吾の作による「ダンス・ウィズ・ミー」という佳曲もあった。
作家陣の顔ぶれも実に豪華で、作詞では最も多くの作品を供した阿久悠のほかに、なかにし礼、橋本淳、山上路夫、千家和也、有馬三恵子ら、作曲では村井邦彦、鈴木邦彦、筒美京平、川口真、平尾昌晃、都倉俊一ら、アレンジでは馬飼野俊一・康二兄弟に、東海林修、竜崎孝路ら、70~80年代の歌謡曲シーンを支えた主要作家がほぼ揃っている。最初の頃の作品は他ではあまり見かけない作曲家の名前が並ぶが、デビュー曲「星空の孤独」を作曲したロビー和田こと和田良知は、初期のディレクションも手がけた人物。「どしゃぶりの雨の中で」「笑って許して」は氏の担当によるものだった。元はフォーク歌手として活動した後、制作サイドに転向してビクターへ入社し、和田のほかにも、西城秀樹「傷だらけのローラ」、松崎しげる「愛のメモリー」などをヒットに導いている。フリーの音楽プロデューサーに転じた後も松本伊代のデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」を大ヒットさせた。時折マスコミを賑わす氏については興味深いエビソードも多いが、それはまた別の話。とにかく和田アキ子を語る上で欠かせない人物であることは確かだ。タレントとして大成する一方で、歌手としての実績も着実に重ねてきた和田アキ子はシングル盤だけでも100タイトルに迫る数がある。その華麗なる歌世界を、もう一度みんなで聴きたい。
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
1972年9月10日、ちあきなおみの13枚目のシングル「喝采」がリリースされた。この曲でちあきは同年の「第14回日本レコード大賞」を受賞する。発売からわずか3ヶ月での大賞受賞は、当時の最短記録で...
デビュー7年目、大胆に路線変更された「どうにもとまらない」のヒットで完全復活を遂げた歌手・山本リンダが続いて出したシングルが「狂わせたいの」。今から46年前、1972年9月5日のリリースだった。...
1976年(昭和51年)の本日8月21日、森田公一とトップギャランのシングル「青春時代」がリリースされた。翌77年のオリコン年間チャートで第2位をマークするジャイアントヒットとなった「青春時代」...
1970年8月10日、ちあきなおみの5枚目のシングル「X+Y=LOVE」がリリースされた。オリコン・シングル・チャートで週間最高5位を記録、前作「四つのお願い」に続くヒットとなった。ある日、作詞...
本日8月8日は、女優・前田美波里の誕生日。今日で70歳を迎えるとは信じられないくらい、ミュージカル魂に決して衰えを感じさせない現役一筋の人である。68年にはマイク真木と結婚することになる元祖スー...
1970年6月8日、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」がオリコン1位を獲得している。「夢は夜ひらく」は、歌い手によって作詞が異なり、補作曲を手掛ける作曲家も異なっている。藤圭子版での曲は曽根幸明だが...
「上を向いて歩こう」などと同様、NHKのヴァラエティ番組『夢であいましょう』から生まれた「こんにちは赤ちゃん」は1963年のレコード大賞グランプリを受賞し、昭和天皇の御前で歌われたことでも知られ...
本日5月28日は、伝説のアイドル女優・内藤洋子の誕生日。65年、黒澤明監督による「赤ひげ」(東宝)で鮮烈なスクリーン・デビューを飾った内藤洋子は、コロムビアの看板スター・舟木一夫が66年リリース...
宿命を背負った演歌の星。そんなイメージで60年代終盤、鮮烈に登場してきた藤圭子。そのデビュー時は、衝撃的なものであった。1970年3月30日はシングル2作目となる「女のブルース」がオリコン・シン...
本日3月26日はいしだあゆみの誕生日。1948年生まれなので、古希を迎えることになる。いしだあゆみは児童劇団での活動を経て、62年に上京。作曲家、いずみたくの門下生となり、64年4月に「ネェ聞い...
本日3月19日は、リトル・ダイナマイト、朱里エイコの誕生日。生きていれば今日で70歳となる。72年、起死回生の思いで発売した「北国行きで」がオリコン6位を記録する大ヒット。デビューから10年目の...
日本を代表する作詞家、阿久悠が世を去って早11年。没後10年、作詞活動50年、そして生誕80年にあたる年だった2017年には記念のコンサートをはじめ、評伝ドラマやドキュメンタリー番組の放映、関連...
2011年に発売されて全世界なヒットとなった『1969』は、由紀さおりとピンク・マルティーニのコラボで、1969年に巷に流れていた国内外の曲をカヴァーしたアルバムだった。この予想外のヒットが現在...
1969年10月に出されたピーターのデビュー曲「夜と朝のあいだに」は、全編に耽美的な雰囲気が漂い、何より個性的な歌声が聴く者を惹きつける。作詞はシャンソンの世界から転身して人気作詞家となっていた...
ローティーンの頃から歌い、カヴァー・ポップス、そして歌謡曲シンガーとしても多くのヒットを連ねた伊東ゆかりは、日本が誇る屈指のポップス・シンガーのひとりである。「小指の想い出」「恋のしずく」など、...
今から47年前の1970年の3月9日、森山加代子の「白い蝶のサンバ」がオリコンチャートの1位を獲得した。60年代に外国カヴァー曲を中心に一世を風靡したポップス・シンガーがオリジナル歌謡で息を吹き...
ロック・シンガーであり、かつてはダウン・タウン・ブギウギ・バンドのリーダーとしても活躍、俳優として、さらには作曲家として山口百恵をはじめ数々のアーティストに名曲を提供してきた宇崎竜童。本日2月2...
2月10日はいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」がオリコンチャート1位を獲得した日である(1969年)。作曲家・筒美京平にとっても初のチャートNo.1を記録した大ヒット曲。いわゆる“歌謡ポッ...
西田佐知子の「涙のかわくまで」が発売されたのは、1967年12月27日のこと。ヒット曲を連発し歌手として絶好調だった時代の代表作と呼ぶべき名曲が誕生してから、実に49年もの月日が流れたことになる...
本日7月11日は木の実ナナの誕生日。古希となる。細川俊之との二人芝居で人気を博した舞台『ショーガール』をはじめ、テレビドラマや映画では女優として活躍。歌手としても「居酒屋」に代表される数々のヒッ...
「可愛いベイビー」で62年にデビューした中尾ミエ。デビュー曲はいきなり大ヒットとなる。同年に始まったフジテレビ『森永スパーク・ショー』で、同じ渡辺プロダクションの園まり、伊東ゆかりと共に司会を務...
もともと、TBSラジオ「夜のバラード」のオープニング曲として作られた由紀さおりの「夜明けのスキャット」。リスナーからの反響により1969年に発表され、同年の4月14日付でオリコン・チャート1位を...
65年にレコード・デビューして「ごめんネ…ジロー」でブレイク、4年後に出した「恋の奴隷」で鮮烈なイメージチェンジを図り、歌手としての幅を広げることに成功した奥村チヨ。2月18日は奥村チヨの誕生日...
梅雨の季節である。となると出番は「雨」を題材にした歌だろう。試しに歌詞検索サイトをみてみると、そういう歌は五万とあることが分る。なんでこんなにあるのだろう。でも考えてみたら、日本語って雨を表わす...