2017年06月01日
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2017年06月01日
本日6月1日は、ゴダイゴのギタリスト浅野孝已の誕生日。66歳となった現在もゴダイゴでの活動と並行して、自身のバンド「T.A.G.C TOKYO」の他、様々なユニット、プロジェクトでの演奏活動を精力的に展開している。しかも今年は、彼が弱冠16歳にしてプロ・ギタリストのキャリアをスタートしてから50周年という節目の年でもある。日本で半世紀もの間、活動を継続している数少ないプロフェッショナルなロック・ギタリストのひとりである彼の足跡は、エレキ・ブーム~GSブーム~ニューロック台頭期~ポストGS台頭期~日本ロック興隆期といった具合に、近代日本ロック変遷の歴史そのものと言えるだろう。
1951年6月1日、東京・池袋に生まれた浅野は幼少の頃から音楽好きで、小学校6年生の時に折からのエレキ・ブームに触発され、お年玉でガット・ギターを購入。これが彼のギター人生のスタートとなった。私立聖学院中学に進んでからはギター教室に通い本格的なレッスンを受けるようになる。メキメキとギターの腕前を挙げていた頃、通学路で知り合った高校生・萩原健一(ショーケン)がヴォーカルを担当しているバンド「ザ・テンプターズ」のステージを観に行ったことがきっかけとなり、弟バンド「ジュニア・テンプターズ」の結成に参加。テンプターズがレギュラー出演していたディスコ等に出演するようになり、浅野は中学2年生にしてセミプロのギタリストとして活動を始めたのである。
1967年初頭、ジュニア・テンプターズはメンバーの大口広司がドラマーの欠員が出たテンプターズに加入したために解散。学校の先輩にモップスの星勝がいた関係で、鈴木ヒロミツの末弟と共に「ジュニア・モップス」を結成した浅野は、やがて高校も退めて毎夜ディスコに出演するようになる。時代はまさに空前のGSブームが巻き起こる直前で、デビュー前のガリバーズやフラワーズから誘われたこともあったが、結局ジュニア・モップス解散後の68年に、当時六本木の高級ディスコやサパークラブで活動していたエム(The M)に参加した。
卓越した演奏テクニックと洗練されたコーラス・ワークで定評のあったエムは、GSブーム末期とその後のニューロック台頭期の実力派グループとして現在もその名が語り継がれているが、加入当時17歳という最年少メンバーだった浅野は、ブルース・クリエイションの竹田和夫と共に“天才少年ギタリスト”として注目される存在であった。アルバム1枚を残して73年にエム解散後は スタジオ・ミュージシャンとして活動しているところをアイドル・バンド「チャコとヘルス・エンジェル」に誘われ参加。73年9月に「愛している愛してない」でデビューしている。 チャコヘルのレコーディングにおけるバッキング演奏には浅野だけが抜擢され、この時期のスタジオ・ワーク体験は、その後の彼のキャリアに大いに役立つこととなるのである。
1974年にはミッキー吉野グループに参加。翌年末にはタケカワユキヒデを加えてゴダイゴに発展し、76年4月に「僕のサラダガール」でレコード・デビューする。ゴダイゴは自分たちの作品以外にも、他のアーティストのレコーディングに参加したり、CMや映画、TVドラマ等の音楽を手がけるなど多岐にわたる活動を展開。バンドという概念に拘らない新時代の音楽プロジェクト・チームとして、70年代の日本の音楽シーンに独自のポジションを築き上げ、浅野も編曲や楽器開発等を手がけるようになった。
「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「銀河鉄道999」等の連続ヒットで国民的バンドに成長したゴダイゴだったが、85年に活動停止。浅野はゲーム音楽や映画音楽の制作、シンガー・ソングライター岡本真夜のプロデュース等を手がけた他、冒頭でも述べたいくつかのバンド、ユニットで活動を初め、それはゴダイゴが恒久的再始動を宣言した2006年以降も続き、現在に至っている。
決して派手さは無いが、安心して聴ける安定したテクニックとあらゆる音楽ジャンルに対応できる懐の深さと柔軟性…浅野孝已のギター・プレイの一番の魅力はそこにあると思う。故・鈴木ヒロミツ氏が生前「浅野孝已はギターを弾くために生まれて来た」と評していたが、その言葉どおり、今後も“ギター道”を極めんとする求道者の如くひたすらギターを弾き続け、そして人生を全うしていくに違いない。
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
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