2017年06月12日
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2017年06月12日
音楽をやるために生まれてきたんだろうなと感じてしまうミュージシャンがごくまれにいる。エレファントカシマシの宮本浩次はそんな稀有なひとりだ。曲を作ること、歌を歌うこと、ステージでパフォーマンスすること、それらの音楽活動から“本能”と表現したくなるような強い衝動と必然性を感じてしまうからだ。
その“本能”がわかりやすい形で見えてくるのはライブだ。曲が終わっても、歌い足りなくて、再び歌詞の一節を歌い出したり、曲の途中で演奏したくなって、メンバーのベースを奪って弾いたり。演出でもなんでもなく、宮本はその場の衝動をそのまま即興のエンターテインメントへと変えていく天性の才能を持っている。と同時に、そうした宮本の突発的な衝動に反応して、対応していく良き理解者にして、同志ともいうべき、石森敏行、高緑成治、冨永義之というメンバーに恵まれたのは彼の幸運だろう。中学1年の入学式で宮本と石森が仲良くなったのが始まりだった。
宮本が生まれたのは1966年6月12日。東京都北区赤羽の出身だ。今年の誕生日で51歳となったのだが、彼のミュージシャンとしての突出は10代、20代、30代、40代、そして50代とそれぞれの年代で代表曲を生み出している点にも表れている。バンドのこれまでの歩みは決して順風満帆ではない。不遇の時期も経験し、何度も危機を乗り越えてきていて、山あり谷ありなのだが、大きく俯瞰して見ると、右肩上がりの活動を展開している。
ライブの動員数も着実に増加し、デビュー30周年となる今年になって、初の大阪城ホールでのワンマンライブを行っているし、現在、初の47都道府県ツアーを敢行中だ。デビュー30年を迎えようというバンドが、今、キャリアハイと言えそうな活動を展開しているのはきわめて異例だ。なぜこうした活動が可能となったのか?
それは宮本が天才であると同時に、とてつもない努力家であり、完璧主義者だったからなのではないだろうか。早熟の天才であることは初期の作品からも明かだ。たとえば、最近のステージでもよく演奏されている「やさしさ」は彼が10代の時に作った曲であり、現在のメンバー4人が初めて一緒に演奏した曲だ。ラブソングでもあるのだが、主人公は常に無常観や虚無感、倦怠感を抱えている。諦観と葛藤とが表裏一体となっている。アマチュア時代に作った曲でありながら、50代になって歌うことで、さらに深みが増していく懐の深い名曲だ。こんな作品を10代で作ってしまうのだから、やはり天才と言うしかない。
エレファントカシマシはアマチュア時代、RCサクセションの楽曲を熱心にコピーしていたことは有名だが、この「やさしさ」も忌野清志郎の作る楽曲と通じるところがある。自らの心境を率直かつ平易な言葉で綴った歌詞、その日本語の歌詞がぴったりと乗っている印象的なメロディ、そしてソウルフルな歌声。つまりソングライターとしても、シンガーとしても、メロディメーカーとしても、宮本は初期の頃から突出した才能を発揮していたのだ。
なおかつ宮本が努力型であると言いたくなるのは、彼が常に現状に満足せず、新しい音楽を作ろうという姿勢を持ち続けているからである。RCサクセション、ローリングストーンズなどの音楽性に大きく影響を受けて、バンドはスタートしたが、その後、オルタナティブロック、ミクスチャー、ヒップホップ、ハウスなどなど、様々な音楽の要素を取り入れてきている。また小林武史、佐久間正英、蔦谷好位置、亀田誠治など、錚々たるプロデューサーたちとともに作品を作り上げたりもしている。森鴎外をテーマとした「歴史」など、文学からの影響が見られる曲もある。
貪欲かつ意欲的に音楽活動を展開してきた彼の努力の成果はしっかり実を結んでいる。10代を総括する曲が「ファイティングマン」であるとするならば、20代は「悲しみの果て」、30代は「俺たちの明日」、40代は「RAINBOW」と、各年代ごとに代表曲を生み出してきている。50代最初のシングルとなった「夢を追う旅人」も今の年齢だからこそ、生み出すことができた楽曲である。
早熟の天才が晩年に失速してしまうケースはかなりあるが、宮本が生み出す音楽は変わらず強烈な輝きを放っている。彼は短距離走者の瞬発力と長距離の持続力とを兼ね備えていると思うのだ。彼ならば、50代、60代、70代と、さらに先の年代での代表曲を生み出していくことも可能なのではないだろうか。全盛期はまだまだ来ない。51歳にして、今もなお、彼の青春は続いている。
≪著者略歴≫
長谷川誠(はせがわ・まこと):1957年北海道・札幌生まれ。出版社勤務を経て、ライターに。1988年のエレファントカシマシの渋谷公会堂を観て衝撃を受け、今年も武道館、大阪城ホール、茨城県立県民文化センターで彼らのステージを観て、30年近くたった今も衝撃を受けている。
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