2017年09月06日
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2017年09月06日
本日9月6日は、元ピンク・フロイドのメンバーで知られるロジャー・ウォーターズの74歳の誕生日(1944年生まれ)である。25年ぶりのスタジオ・アルバム『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』をリリースしたばかりのロジャーであるがそのメッセージ性の強い強烈な個性は健在だ。
ピンク・フロイドはアルバム『狂気』で驚異的なヒットを生み出した、それは4人のメンバー集合体の傑作でもあり、バンドのメンバー間のバランスがとれていた唯一の時期のものともいえる。そしてロジャーは『ザ・ウォール』で明確なコンセプトを生み出し大半の楽曲を作曲、自身の音楽的方向性を示したが、彼の独裁的な活動となりバンド間の調和を崩していった。
ピンク・フロイドはプログレシヴで壮大なサウンドを創り上げたバンドとしても知られるが、デビュー時は奇才・シド・バレットが大半の曲を作詞作曲しリード・ヴォーカルを担当。彼の独特な詞の世界をサイケデリックなサウンドで表現した魅力が注目を集めたが、シドのドラッグ等による精神的な理由によりバンド活動が続けることが出来なくなり、デイヴィッド・ギルモアが加入。ほんの短い期間5人編成となるが、結局シドは脱退。バンドは作曲とリード・ヴォーカルを担当していた中心人物がいなくなり、音楽的方向性を見失った。
セカンド・アルバム『神秘』はシドの参加曲も含み、その過渡期に制作されたアルバムであるが、昨年発売された27枚組ボックス『THE EARLY YEARS 1965-1972』には、シドの録音曲にロジャーや他のメンバーが口パクでTV出演する映像や、次の音楽的方向性を模索する音源が多数収録されている。この苦悩の時期こそロジャーの音楽性を開花させた時期なのであろう。リフだけのインストゥルメンタルの即興演奏や、初めてのリード・ヴォーカルとその危機迫るメッセージとも思える叫び、プレイはその後のピンク・フロイドの方向性を見つけ出していった。事実、その後に制作され、驚異的大ベスト・セラーとなった『狂気』や『ザ・ウォール』を生み、人気と名声を得た。しかし、その独裁的な活動で他のメンバーからは孤立、デイヴィッド・ギルモア・サイドとバンド名をどちらが使用するかで裁判まで行うこととなり、結局デイヴィッド側がバンド活動を続行出来ることとなり、ロジャーはソロ名義で活動をすることになる。彼のソロ・アルバムはどの作品も社会的問題をテーマに掲げたコンセプト作品であり、難解な作品が多いのが彼の創り上げる世界の特徴である。
彼の父親は第二次世界大戦の1944年にイタリアで戦死、父親とは会ったこともない。また母親が共産党員だったこともあってか、左翼的で社会主義的な考え方は少年時代の体験からであると言われている。その性格、音楽性、価値観はピンク・フロイドの活動で自身のメッセージを伝える表現方法を完成させ『ザ・ウォール』で完成させたのである。
尚、ロジャーとデイヴィッドの不仲はあまりにも有名で、インタビューでもお互いを罵ったこともあった。しかし2005年7月に『LIVE 8』で奇跡的にたった一度だけであるが4人で再結成を果たしファンを驚喜させた。その後の再結成はなかったが、ある程度の距離をおきながらもメンバーとの共演や交流は続いている。
ロジャー・ウォーターズは常に社会に不満を感じ、その不満を音楽に託すミュージシャンを超えた偉大なアーティストである。
≪著者略歴≫
佐藤晃彦 / JEFF SATO(さとう・あきひこ):1955年10月13日生まれ、78~00年までワーナー・ミュージックとユニバーサル・ビクターで、主に洋楽・邦楽ディレクターとしてジャクソン・ブラウン、モトリー・クルー、ラウドネス、渡辺貞夫、松岡直也、憂歌団、喜多郎、hide/pata (X Japan)、Zeppet Store等を担当、独立後(有)ジェフズ・ミュージックを設立、音楽制作、インディーズ・音楽著作権管理、大学・専門学校講師、おやじバンド・イヴェント企画、音楽ライター、CDレコード・ショップ運営等を行う。
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