2019年08月06日
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2019年08月06日
ピンク・フロイドの初来日コンサート“箱根アフロディーテ”が開催されたのは1971年8月6日と7日。もう半世紀近く前になるが、このイベントに足を運んだ人に出会って、その話になると、いまでも“あー、あの霧ね・・”というフレーズが口をついて出て、それだけで互いにすべてを納得してしまう。知らない人には意味不明なことかもしれないが、8月6日の夕方、曇り気味の中でピンク・フロイドの演奏が始まると、正面の山から霧が下りてきて会場を包み、音楽と相まってなんとも幻想的な雰囲気が高められていった。まさに誰も考えていなかった自然の演出。あの白い霧の出現によって、ピンク・フロイドの初来日ステージは多くのロック・ファンにとって、ひときわ忘れがたいものになったというのが、たがいの暗黙の了解事項になっている。そんな“伝説的”なフロイドのライブについては、すでに語り継がれている部分も多いので、その前後のことについて思い出したことを書いてみたい。
“箱根アフロディーテ”の会場になったのは、箱根芦ノ湖畔にあって成蹊学園の寮になっている約6万坪の乗風台。広大な敷地の一部にメインステージを設け、数百メートル離れた窪地にやや小さいステージを作って、それぞれ山ステージ、谷ステージと呼んで、並行的に演奏がおこなわれた。イベントにはピンク・フロイドのほかにも日本側からハプニングス・フォー、モップス、赤い鳥、ダークダックス、渡辺貞夫グループをはじめ10数アーティストが参加。海外からは「トレイン」がヒット中だったバブルガム・ロックの人気バンド“1910フルーツガム・カンパニー”や、「サークル・ゲーム」がチャートインしていたフォーク・シンガーのバフィー・セントメリーも出演した。これだけバラエティをもつ顔ぶれが会したというのも、今から思えば、やはり70年代という時代性を感じさせることだったのかもしれない。
とはいえ“ピンク・フロイド”がメイン・アクトであることは間違いなく、我々スタッフは3日前から現地の成蹊寮に泊まり込んだが、やはり野外イベントでは予想外のことが起きるものだ。イベント前の8月3日から4日にかけて、箱根あたりは大雨が降った。そして前日の5日の昼過ぎに、ミキシング装置やWEMのスピーカーなど大量の機材を積み込んだ10トン・トラック数台が芦ノ湖畔の道路に到着する。ステージは湖畔の道路を見下ろすように、反対の山側200メートル位の位置にあって、トラックはステージの脇まで来て横付けになる筈だったが、雨でぬかるみになった道をどうやってもトラックが上がらない。結局、警備を担当することになっていた若い屈強なスタッフにも手伝ってもらって、なんとか人海戦術で機材をステージまで運び込んだ。みんなが“腰が抜けましたね”と口々に言っていた。セッティングが数時間遅れたのは言うまでもない。
そんな風にして実現にこぎつけた“箱根アフロディーテ”のステージは、ニッポン放送でも一部が放送されたほか、FENでも放送がおこなわれている。さらに、ある熱狂的なファンが彼らを追いかけて、カメラを回していたらしい。まだビデオ撮影機などは一般になく、おそらく8ミリカメラではなかったかと思われるが、ピンク・フロイドの4人が羽田空港に着いたところから赤坂のホテル、記者会見、そして箱根のコンサートまでを撮影。ピンク・フロイド側も、この撮影をOKしていたらしい。
そのフィルムをもとに編集されたものが79年になって、開局したばかりのテレビ埼玉『サウンド・スーパーシティ』という番組で放送されている。ただし中で演奏される“原子心母”の音と画像はシンクロしていない。それを誰かが放送同録したものが海賊版として世界的に出回っていたが、今では正式にソニー・ミュージックからのBOXセットの一部に収められて“箱根アフロディーテ”のピンク・フロイドを追体験することができる。
≪著者略歴≫
岡崎正通(おかざき・まさみち):1946年東京生まれ。早稲田大学第一政経学部卒業。早大「モダンジャズ研究会」に所属し、学生ジャズ研連合による来日中のジョン・コルトレーンのインタビューにも携わる。68年、ニッポン放送入社。76年からオールナイト・ニッポンのチーフプロデューサー。ニッポン放送常務取締役を経て、現在ニッポン放送監査役。ジャズ研究家としても活躍する。
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