2016年07月13日
スポンサーリンク
2016年07月13日
1987年(昭和62年)の本日7月13日オリコンチャート1位を記録したのは、南野陽子の8枚目のシングル「パンドラの恋人」。
1985年、7月5日におニャン子クラブがレコードデビューする直前までの半年間は、史上最強というべきソロアイドルデビューの豊作期だった。特に6月21日には、中山美穂、浅香唯という、80年代末期を代表する巨星が揃ってデビュー曲を発売。それに2日遅れて「恥ずかしすぎて」でCBS・ソニー(当時)よりデビューしたのが、南野陽子だ。日曜日という、今では考えられない発売日が設定されたのは、単に彼女の18回目の誕生日だったからという説が根強い。
デビュー曲の段階では「その他大勢」の一人という印象が免れず、オリコンチャート最高順位は57位と低迷したが、11月7日放映開始されたドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」(フジテレビ)の二代目・麻宮サキ(初代は言うまでもない、斉藤由貴である)役に抜擢されたのをきっかけに急速にブレイク。翌年3月リリースされた3枚目にして同ドラマのテーマ曲「悲しみモニュメント」を皮切りに、コンスタントにベスト10にシングルを送り込む快進撃が始まる。
86年10月、サキの印籠を浅香唯に渡して以降の勢いはさらに凄まじく、87年と88年に発売したシングル8枚は全て1位を記録している。その幕開けとなった「楽園のDoor」は映画版「スケバン刑事」(東映)のテーマ曲、続く「話しかけたかった」は80年代アイドル界屈指の「玄人受け楽曲」として、21世紀に入ってからもインディーズバンドにカバーされるなど人気がある。その次が「パンドラの恋人」だ。ようやく「うつむき加減の女の子」という過去の楽曲のイメージから脱却した前作に比べて、さらに大人っぽく、ようやく二十歳を迎えたなという面が伝わってくる一曲。
アナログ末期のアイドルのシングル盤は、現在の所謂「積ませ商法」を殆どとらなかった代わりに、様々な工夫を凝らした仕様で高い初動を狙う傾向にあったが、このシングル初回盤の「下敷き仕様ジャケット」も実に斬新だった。レギュラー盤よりわずかに100円高い価格設定となったが、発売1週目で8万枚強を売り上げ、ほぼ売り切れに近い状態に。通常盤も加えると12週間チャートインし、20万枚近くの売り上げ。安定した人気を証明した。
88年の「吐息でネット」からは、シングル盤もCD(縦長ジャケット8cm)メインの時代に突入したが、この曲のアナログ初回盤も通常より縦長の特殊スリーヴ仕様で、瞬く間にレア盤となった。89年に出た2枚、「涙はどこへ行ったの」と「トラブル・メーカー」のアナログ盤は、出回った枚数自体が少なく、超レア盤である。
さて、アナログからCDへの転換期を語るとなると、この87年7月13日付オリコンチャートには、決して避けて通れない記念碑がある。CDアルバムチャートの1位、TM NETWORK『Gift for Fanks』だ。
「パンドラの恋人」と同日、7月1日に同じソニーグループのEPIC・ソニー(当時)からリリースされた同作品は、既発の12インチシングル収録曲を中心としたCD独自の企画として制作され、当時はまだ音楽メディアの主流として認知される直前の段階だったCDの勢いを一気に加速させた。LPチャートでは1位に少年隊『TIME-19』が初登場していたが、その初動枚数をわずかに超える4万枚強を初動で叩き出し、最終的には45万枚強を売り上げ、CDプレイヤーそのものの購買層の拡大にも大きな影響を与えたと言われている。現在でも30年前の曲とは思えない鮮度を保っているシングル「Get Wild」は同週のチャートで10位を記録しており、それも追い風となったに違いない。ちなみに同週のCDチャートの2位は、夏向けの企画商品として発売された新譜に既発の冬向けミニアルバムの内容を追加し、1枚のCDにまとめた浜田省吾『ClubSurf&Snowbound』、3位もカセットとCDのみの企画ベスト盤、サザンオールスターズ『バラッド2 '83〜'86』と、同内容のLP発売がない作品が上位3作を独占した。
CD向きの企画が大ヒットする一方で、前年の週替わりおニャン子独占状態が一段落し、アイドルの隙間を縫ってBO∅WY「マリオネット」や石原裕次郎の遺作「北の旅人」が1位に躍り出た、アナログシングル時代最後の年のチャート事情。いよいよ日本の音楽業界は長かった冬を脱出し、メディア肥大化の時代へと立ち向かうのだ。恥ずかしがりな乙女心を持ちながら、ドラマで「おまんら許さんぜよ!」と力んでみせた南野陽子は、そんな激動前夜を代表するアイドルに相応しい一人だったのかもしれない。そして、未だアイドル魂を失っていない奇跡の人である。
中学生からスクールメイツに所属し、本格的にプロを目指しオーディションを沢山受けるもことごとく落選。そんな中、最後に手を差し延べてくれたのがアニメの世界でした。TVアニメ『機動戦士Ζガンダム』の主...
本日9月26日は木根尚登の誕生日。今年で61歳になる。1992年、シングル「泣かないで」でソロ・デビューし、現在までに約20枚のシングルと約20枚のアルバム(ミニアルバムとセルフカバーアルバムを...
1988年3月7日、南野陽子の11枚目のシングル「吐息でネット」がオリコン・シングル・チャートで1位を獲得した。87年1月リリースの「楽園のdoor」から数えて6作連続の1位であり、南野陽子にと...
私が小室哲哉を初めて観たのは、新宿駅の東口にあった新宿ルイードというライブハウスで、確か1982年頃だった。彼のプロフィールを確認してみると、その頃にはすでにいくつかのバンドを作っては解散させる...
80年代アイドルに興味のある方なら、「花の82年組」というフレーズをご存知であろう。有望な新人アイドルを多数輩出した1982年のシーンを象徴する言葉だが、その中にあって異色のアイドルとして登場し...
本日8月18日は、いとうまい子53回目の誕生日。というより、アイドルとして活躍した時期の栄光にこだわるならば、「伊藤麻衣子」の生誕記念日である。デビューのきっかけは、82年に「ミスマガジンコンテ...
本日7月24日は、河合奈保子の誕生日…あれれっ、誕生日に奈保子の記事は前にもありましたよね? と言いつつ、コロムビアのアイドルコンピをまとめた責任上、もっともっと盛り上げろという使命を与えられ...
1981年の12月21日、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」がオリコン・チャートの1位を獲得した。同年11月21日にキティ・レコードから発売された薬師丸のデビュー曲であり、彼女が主演した同名映画...
1982年の9月9日、TBSの『ザ・ベストテン』で田原俊彦の10作目「NINJIN娘」が前週に引き続き1位を獲得した。オリコン・チャートでは2位どまりだったこの曲、同番組ではトータル3週連続で首...
1986年の今日、9月8日のオリコンチャート1位を飾ったのは、うしろゆびさされ組の4枚目のシングル、「渚の『・・・・・』」である。ややこしいですが、「 」内が曲名。「なぎさのかぎかっこ」と読みま...
1982年7月28日は、中森明菜「少女A」の発売日。明菜にとっては同年5月1日発売のデビュー曲「スローモーション」に続く2作目のシングルで、オリコン・チャートの最高5位まで上昇し、彼女のブレイク...
おニャン子クラブ会員番号36番・渡辺満里奈は、おニャン子では初めてとなる1970年代生まれのメンバーのソロデビューを、86年10月「深呼吸して」で果たしている。このデビュー曲から1位と好発進し、...
本日7月7日は、おニャン子クラブの会員番号16番、高井麻巳子のソロ・デビュー・シングル「シンデレラたちへの伝言」がオリコン・チャートで1位を獲得した日。今からちょうど30年前、1986年のことで...
今から30年前、1986年(昭和61年)の本日、5月19日付のオリコンチャートの1位が何だったか、すぐ思い出せる方はいますか? …答は、おニャン子クラブの会員番号8番・国生さゆりのソ第2弾シング...
1983年5月16日、松田聖子「天国のキッス」がオリコン・チャート1位を獲得した。聖子にとっては「風は秋色」以来、11曲連続での1位である。主演映画『プルメリアの伝説』主題歌で、この曲の作・編曲...
1985年の5月13日にオリコン・チャートで1位を獲得した中森明菜の「赤い鳥逃げた」は、その2カ月前にオリコン・チャート1位に輝いた「ミ・アモーレ」の異名同曲。80年代に新たな表現形態として注目...
本日5月4日は、日本のアイドル産業に於ける分岐点を築いた重要人物・菊池桃子の48回目の生誕記念日である。アイドルとしての活動を停止してもなお、格好のニュースネタを度々提供し、かつてのファン世代は...
1982年5月3日、薬師丸ひろ子のアルバム『青春のメモワール』がオリコン・チャートで1位を獲得した。内容はほぼ薬師丸によるナレーションと、出演映画のシーンを収録したもので構成されたメモリアル的な...
85年デビュー組は「奇跡」だった。前年、従来のアイドルのイメージを覆した果汁系少女・菊池桃子の登場が刺激となり、アイドル産業は82年組の百花繚乱状態から少しずつ天然かつフレンドリーな方向へと傾き...