2018年05月17日
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2018年05月17日
2018年4月23日に初日を迎えたブロードウェイの舞台『SUMMER:THE DONNA SUMMER MUSICAL』が話題を集めている。ドナ・サマーの楽曲を用いて、その波乱の人生を描いているとのこと。ひとりのスターがそうした題材となるには、高い知名度、少なくない数の代表曲、そして独創的な個性などの条件が必要だろう。ドナ・サマーは、いずれをも満たす希有な存在だ。
1948年12月31日にマサチューセッツ州ボストンにて生まれたラドナ・アンドレア・ゲインズは、教会に通いゴスペルに親しんだ。10歳のころ自分の歌声に涙する人々を見て、”歌うことが私の人生だ”と感じたという。67年にニューヨークに向かい、ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアー』のヨーロッパ公演でのシーラ役を得て、68年西ドイツ(当時)のミュンヘンに旅立った。そこで発売したドナ・ゲインズ名義の「Aquarius」が初シングルとされている。73年にオーストリア人ヘルムート・ソマーと結婚し、女児ミミを授かった。
様々なセッションに関わったドナは、1973年、ミュンヘンでのスリー・ドッグ・ナイトのデモ録音に協力すると、彼女の声に注目したプロデューサーのピート・ベロッテから、イタリア人クリエイターのジョルジオ・モロダーと制作した曲を歌って欲しいと請われる。運命の3人の出会いであった。74年、ファースト・アルバム『LADY OF THE NIGHT』を発表。誘拐事件を題材にした「The Hostage」で手応えを得る(「恐怖の脅迫電話」としてドンナ・サマー名義で日本発売)。75年、ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲーンスブールの「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」 をヒントに3人は、「Love To Love You」を作る。カサブランカ・レコードのニール・ボガートに送られると業界向けパーティーで客から繰り返しリクエストされ、それに閃いたボカートの要請で20分弱の長尺レコードとしてアメリカ発売が実現(ボガートのアイディアで「Love To Love You Baby」に改題)。ニューヨーク地区のディスコから火がつき、76年初頭に全米第2位まで上昇する。日本タイトルは「愛の誘惑」。ディスコの女王=ドナ・サマーの誕生だ。ミミを連れての凱旋帰国は、しかしヘルムートとの別離となる。
アルバム『愛の誘惑』(75年)、『ラブ・トリロジー』(76年)、『フォー・シーズンズ・オブ・ラブ』(76年)、『アイ・リメンバー・イエスタデイ』(77年)、『ワンス・アポン・ア・タイム』(77年)を通じ、ドナとモロダー/ベロッテは、基本的に「愛の誘惑」のささやくようなヴォーカル・スタイルに、ミュンヘン・サウンドと呼べるヨーロッパ的なストリングスを伴ったディスコ・ミュージックを創出した。特筆すべきは「アイ・フィール・ラヴ」だ。無機質な反復ビートが全編を貫く突出してユニークな仕様は、”エレクトロ・ダンス・サウンドの起源”とされる革新的なものだった。そして、ささやき気味のスタイルから脱却し、ヴォーカリストとしての豊かな資質を伝えた「アイ・ラヴ・ユー」。これらはドナのメガ・スター時代を予見させるヒットだった。ドナ自身も出演した青春ディスコ映画『イッツ・フライデー』(78年)からの「ラスト・ダンス」によって、彼女は次の段階に入った。
ライヴ音源とディスコ・メドレー構成の「マッカーサー・パーク組曲」を収めた2枚組『ベスト・オブ・ドナ・サマー~ライヴ・アンド・モア』(78年)は、「マッカーサー・パーク」の勢いも伴い、シングル/アルバム共に全米チャートのトップに輝く。No.1ヒットは『華麗なる誘惑』(79年)から「ホット・スタッフ」と「バッド・ガール」、『愛の軌跡 ドナ・サマー・グレイテスト・ヒッツ』(79年)から「ノー・モア・ティアーズ(イナフ・イズ・イナフ」(バーブラ・ストライサンドとのデュエット)と続く。私生活では「ヘブン・ノウズ」で共演したブルックリン・ドリームスのブルース・スダノと80年に再婚し、ふたりの娘=ブルックリンとアマンダをもうけている。
路線変更を考えたドナは、ディスコ・スタイルを望んだカサブランカと袂を分かつ。ゲフィン・レコードに移籍しての『ワンダラー』(80年)は幅広い音楽性を盛り込むものの全米第13位に留まり、ゲフィン・サイドは次作『I'M A RAINBOW』の発売を拒否する(96年まで陽の目を見ず)。クインシー・ジョーンズが起用された82年の『恋の魔法使い』は、さらに多彩な要素を織り込んだ充実作ながら全米第20位と揮わず。古巣との契約履行のためカサブランカを吸収したポリグラム/マーキュリー・レコードからの発表となった『情熱物語』(83年)は、旧来のダンス・ポップ要素を活かしたタイトル曲のヒット(全米第3位)を生むが、続く『キャッツ・ウィズアウト・クロウズ』(84年)、『オール・システムズ・ゴー』(87年)のいずれも期待を上回るセールスはあげなかった。
カイリー・ミノーグなどを手掛けたチーム=ストック/エイトケン/ウォーターマンと組み『アナザー・プレイス・アンド・タイム』を89年に発表。そこから「イッツ・フォー・リアル」が全英第3位と反響を呼び、アメリカでも第7位と久々のトップ10入りとなるが次の『ミステイクン・アイデンティティー』(91年)は米英でチャート入りを逃している。17年ぶりとなるオリジナル・アルバム『クレヨン』を発表したのが08年。全米第17位と復活の兆しをみせ、2010年にはスタンダード作品の構想を語るなど意欲は衰えていなかった。
2012年5月17日、突然の訃報が届く。享年63。死因は肺癌。ディスコ・ミュージックがポップ・シーンですさまじい状況を描き出していた時代に、華やかで壮大、かつ情感にあふれた歌声で女王の座に君臨していたドナ・サマーは、いくつものすばらしいヒット曲と共に記憶に刻まれ続けている。
≪著者略歴≫
矢口清治( やぐち・きよはる):ディスク・ジョッキー。1959年群馬生まれ。78年『全米トップ40』への出演をきっかけにラジオ業界入り。これまで『Music Today』、『GOOD MORNING YOKOHAMA』、『MUSIC GUMBO』、『ミュージック・プラザ』、『全米トップ40 THE 80'S』などを担当。またCD『僕たちの洋楽ヒット』の監修などを行なっている。
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