2018年11月08日
スポンサーリンク
2018年11月08日
いまから49年前の1969年11月8日は、フィフス・ディメンションの「ウェディング・ベル・ブルース」がビルボードで1位を獲得した日となる。ここから3週間にわたって首位をキープする大ヒットとなったこの曲は、同じ年の春に6週連続で全米ナンバーワンに輝いた「輝く星座(Aquarius / Let The Sunshine In)」に次いで、グループ史上第2位となる売上げを記録。69年はフィフス・ディメンションにとって忘れられない最高の一年になった。
この「ウェディング・ベル・ブルース」という曲は、女性シンガー・ソングライターのローラ・ニーロがヴァーヴ・フォークウェイズと契約して66年9月にシングル発売したデビュー曲で、翌67年2月にはファースト・アルバムの『モア・ザン・ア・ニュー・ディスカバリー』にも収録された、初期の彼女を代表するナンバーだった。
そんな「ウェディング・ベル・ブルース」を、力強いヴォーカルで見事にカヴァーしたフィフス・ディメンションは、“黒いママス&パパス”というコンセプトで66年にデビューした、男性3人、女性2人からなるロサンジェルス出身のヴォーカル・グループ。出世作となった「ビートでジャンプ(Up, Up And Away)」は、新進気鋭のソングライター、ジミー・ウェッブが手がけた作品であり、自分たちで曲が書けない5人組にとって、いかに魅力的な楽曲を調達してくるかが、成功への大きな鍵だった。
ちょうどそんな時期にニューヨークでデビューしたのがローラ・ニーロだった。フィフス・ディメンションのプロデュースを担当していたボーンズ・ハウは、68年に入ってからローラの楽曲に着目して、次々とグループに歌わせた。最初は「ストーンド・ソウル・ピクニック」で、これが全米3位の大ヒットを記録すると、次に「スウィート・ブラインドネス」が全米13位のスマッシュ・ヒットとなり、グループとローラ作品との相性の良さはバツグンだった。
そうしたなか、3曲目のローラ作品としてボーンズ・ハウが採用したのが「ウェディング・ベル・ブルース」。歌詞を読むと、女性が男性に結婚を迫る内容で、実はそれもこの曲の大ヒットを後押ししていた。というのも、60年代後半にアメリカでは“ウーマン・リブ”という名の女性解放運動が起き、世界中に広まっていたからだ。「ウェディング・ベル・ブルース」は、女性が社会に進出して男性と対等に物事を主張するようになった時代のムードと上手くシンクロしたからこそ、これほどの大ヒットになったともいえるのだ。
フィフス・ディメンションだけじゃなく、ローラ・ニーロにとっても68年は特別な年だった。フィフス・ディメンションでヒットした3曲に加えて、ブラッド・スウェット&ティアーズの「アンド・ホエン・アイ・ダイ」が全米2位、スリー・ドッグ・ナイトの「イーライズ・カミング」が全米10位をマークするなど、ローラの書いた作品は次々とヒットを記録。68年からの3年間に彼女が手にした作家印税は、総額で数百万ドルに達したと言われる。それは、まだ二十歳そこそこの若き才媛による、研ぎ澄まされた感性とパッションの賜物であった。
フィフス・ディメンション「ビートでジャンプ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。
日本武道館で体験した最初のコンサートはブラッド・スウェット&ティアーズのコンサートだった。1971年2月13日。プロモーターはキョードー東京。音楽雑誌の駆け出しの編集部員だったぼくは、取材のため...
ちょうど50年前の本日11月30日は、レッド・ツェッペリンがアトランティックと20万ドルという破格の契約金で契約を交わした日である。1968年7月、ヤードバーズとしての最終公演を行う前提でメンバ...
1974年11月23日、ザ・ローリング・ストーンズの傑作『IT'S ONLY ROCK'N ROLL』が ビルボード・アルバムチャート1位を獲得した。“たかがロックンロール”と命名されたこの傑作...
ジョン・レノンのソロ・シングルで初めて1位になった曲は? すぐに思い浮かびそうな「イマジン」ではない。答えは「真夜中を突っ走れ」である。それまでの最高位は、イギリスでは69年の「平和を我等に」の...
今日、11月12日はニール・ヤングの73回目の誕生日だ。生まれたのはオンタリオ州トロントで、幼い頃は近くの小さな町オメミーで育ったとされている。父親のスコットは、有能なジャーナリストで、地元の新...
ユーミンの「14番目の月」や子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしていた1976年11月、数々の日本人アーティストのアルバムを抑えて1日、8日、15日と3週連続でオリコンチャート1位をキ...
「ウイ・アー・イーグルス、フロム・ロサンゼルス」、グレン・フライのそれが、彼らの第一声だった。彼らとは、もちろん、イーグルス。その言葉に続いて、「テイク・イット・イージー」が始まった。1976年...
ポールの妻と言えば、ビートルズ解散のショックでスコットランドの農場に引きこもったポールを励まし、ソロ活動へと気持ちを上向きにさせたリンダが、ポールにとってもファンにとっても「長年の伴侶」として忘...
1974年9月14日は、エリック・クラプトン「アイ・ショット・ザ・シェリフ」が、ビルボードの全米チャートで1位に輝いた日だ。もちろん、クラプトンにとっては、初めての1位で、収録されているアルバム...
ダニー・オズモンドの「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」は、オズモンズの「ワン・バッド・アップル」が王座に輝いてから7ヶ月後、1971年9月11日付で見事全米No.1に輝いた。アメリカのシングル・...
1973年の本日、8月31日、ザ・ローリング・ストーンズの名作アルバム『山羊の頭のスープ』が本国、英国でリリースされた。1973年と言えば、1月に「ストーンズの初来日公演」が日本政府によって中止...
公開40周年ということで、この春から日本各地で映画『ラスト・ワルツ』が上映されている。映画には、インタビューも挿入されていて、ガース・ハドソンが、ザ・バンドに加わったときのエピソードが面白い。大...
ストーンズのギタリスト、ロン・ウッドの一般的なイメージは、いつも明るく元気で朗らかな感じだろうか。お調子者で、お人好しで、酒好きでヘビースモーカー、やや天衣無縫で不器用なギタリストというイメージ...
本日5月31日は、レッド・ツェッペリンの偉大なるドラマー、ジョン・ボーナム(本名は:John Henry Bonham、愛称:Bonzo)の誕生日である。しかし1980年9月25日に突然の死によ...
僕が10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」を最初に耳にしたのは、ラジオのFENだったと記憶している。キャッチーで美しいメロディ・ラインと壮大なコーラス……一度聴いただけで虜になってしまう曲だっ...
2018年4月23日に初日を迎えたブロードウェイの舞台『SUMMER:THE DONNA SUMMER MUSICAL』が話題を集めている。ドナ・サマーの楽曲を用いて、その波乱の人生を描いている...
本日5月2日は、今もなお個性派俳優・歌手として独自の道を歩み続ける夏木マリの誕生日。今日で66歳という年齢が信じがたい程、その仕事欲とパワーに圧倒されるばかりだ。1971年本名の中島淳子名義でデ...
5月12日はバート・バカラックの誕生日となる。バート・バカラックと言えば、キャロル・キングやバリー・マンなど並び称される大作曲家。流麗なメロディで誰もがうっとり…という古いジャズ系スタンダードと...
時間や場所、もっと極端に言えば、聴き手さえをも選ぶ音楽というのが、確かにある。そんなことを思うようになったのは、たぶん、誰のせいでもない、この人、ローラ・ニーロと、彼女の音楽との出会いだったかも...
今日、7月31日は歌手・女優の岡崎友紀の誕生日。子役時代に既にミュージカルも経験済みという演技力&歌唱力に加え、コミカルな芝居やコント、バラエティ番組での立ち回りもお見事……というマルチ型アイド...