2018年05月18日
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2018年05月18日
1987年の今日、5月18日のオリコンチャート1位を飾ったのは、うしろ髪ひかれ隊のデビュー曲「時の河を越えて」である。というわけで、久々にやってきました、筆者の「おニャン子夜話」の時間です。
個人的には、自分の生涯の中で最も振り返りたくないというくらい絶望的な日々が続いていた1987年だが、日本の音楽シーンそのものも、商業的視点から見れば同じようなものだった。何せ、年間チャート1位が週間最高ランク6位、42万枚という売り上げに留まった瀬川瑛子「命くれない」である(但し、同曲はその前後2年も合わせて超ロングヒットとなり、最終的にはミリオンセラーを記録した)。そんな中、前年ほどではないけれどおニャン子クラプ関係の勢いは続き、関連シングル計10曲が週間チャートの1位を射止めている。ただ、市場全体が低迷する中、10万突破がやっとという限界が見えてきたのは否めない。
それはともかく、おニャン子の正式な「別働隊ユニット」としては3組目のデビューとなったのが、会員番号38・40・42の三人からなる "うしろ髪ひかれ隊" だ。デビュー曲「時の河を越えて」は、すでにフジテレビの看板的アニメの座に躍り出ていた「ハイスクール! 奇面組」の6代目オープニングテーマとして起用されている。発売シングル曲の全てが同アニメとタイアップしていた "うしろゆびさされ組" が、高井麻巳子のおニャン子卒業に伴いユニット解消となった事情があり、後続ユニットとしてスタートしたのが、ネーミング的にもそのニュアンスを打ち出した "うしろ髪ひかれ隊" だった。そんな事情もあり、デビュー曲としては異例のロケットスタートを記録したのだが、筆者として注目したいのは、女性3人組グループのオリコンチャート1位獲得は、これがなんと史上2度目だったという事実である。言うまでもなくその最初の例は、キャンディーズの公式ラストシングル「微笑がえし」(78年)だった。
そのキャンディーズでさえ、解散宣言が追い風となり人気が最高潮に達する最後の半年間に至るまでは、「春一番」でベスト3入りがやっとという状況だったし、その後の9年間は、シュガー「ウェディング・ベル」(81年)も、わらべ「めだかの兄妹」(82年)も、それぞれ最高2位、3位という結果(後者の「もしも明日が…」は、言うまでもなく84年年間1位を記録したが、既に女性3人組ではなくなっている)。オリコンチャート集計が始まった最初期に登場したモコ・ビーバー・オリーブやアイビー・トワインズから、最近のあゆみくりかまき、The Wisely Brothersに至るまで、女性3人組ユニットには、音楽スタイル関係なしに、応援したくなる「華」を感じてしまいがちだが、なぜか商業的には「鬼門」に阻まれていたのかな、と思ってしまう。それとも、キャンディーズの存在があまりにも「絶対的」すぎて、それが呪縛となったのか。
キャンディーズ解散からおニャン子絶頂期に至るまでの間、トライアングル、フィーバーを筆頭に、数多の女性3人組アイドルユニットが市場に送り込まれるも、多くが玄人受けの存在に留まるに終わったが、そんな中の一組 "セブンティーン・クラブ" を覚えているだろうか。渡辺美里、松本典子、国生さゆりらを発掘し、伝説の大会と言われている1984年度「ミス・セブンティーン・コンテスト」の決勝大会出場者から、3人の有望株を抜擢して結成されたユニットである。85年にCBSソニー(当時)からシングル2枚をリリースして、いつの間にか消滅したが、この3人はそれぞれ別の運命をたどり、芸能史に名を残している。ユニット時代から聖飢魔IIのミュージックビデオに出演するなど、独自の活動を始めていた柴田くに子は、91年に森丘祥子としてソロデビュー。翌年には「夢で逢えたら」をシングルメイン曲として発売した史上5人目の歌手となった(プロデュースは小西康陽)。木村亜希は、おニャン子フォロワーの一つB・C・G(美少女からふるギャング)を経て、清原和博夫人に(のちに離婚)。そしてもう一人は、おニャン子クラブの会員番号38に。言うまでもなく、工藤静香である。静香にとって、 "うしろ髪" は2度目に関わった女性3人組ユニットだったのだ。
うしろ髪ひかれ隊は、87年夏のおニャン子解散後も暫くユニットとして継続。シングル5枚とアルバム3枚をリリースしたが、静香のソロシンガーとしての人気が加速するのに伴い、他の二人もソロ活動に力を入れ始め、88年にはユニット活動を終えた。会員番号40・生稲晃子は、おニャン子出身という事実を霞ませる「日本の女将」というイメージを、女優・レポーター活動を通して確立。88年、久々に広島東洋カープに外国人選手として入団したランスのヒッティングマーチとして使われたのが、彼女の同年のソロデビュー曲「麦わらでダンス」というのは玄人受けするエピソードだ。会員番号42・斉藤満喜子は、先輩ゆうゆに続けとバラエティ路線を突き進むも、現在は堅実な奥さん稼業に専念している。工藤静香のその後に関しては、改めて触れるまでもないだろう。おニャン子出身者の中で、真のカリスマを手に入れた唯一の人と言っても過言ではない。
ちなみに「時の河を越えて」に次ぐ女性3人組ユニットのオリコンチャート1位獲得は、同年11月に記録された風間三姉妹「Remember」だが、「スケバン刑事」絡みのイレギュラーユニット唯一のリリースであるこの曲を特例とすると、99年のプッチモニ「ちょこっとLOVE」までさらに12年待たねばならない。やはり、鬼門を打ち破るのは難しいのだろうか。おニャン子やモーニング娘。、AKB48みたいな母体ユニットが存在しない場合は余計。それを思うと、やっぱりキャンディーズは凄かったなと(キャンディーズだって、母体はスクールメイツでしょという反論は無用ね)。
うしろ髪ひかれ隊「時の河を越えて」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
セブンティーン・クラブ「ス・キ・ふたりとも!」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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