2019年01月30日
スポンサーリンク
2019年01月30日
1973年3月に「かくれんぼ」で日本コロムビアからデビューした石川さゆりは、当初はアイドル然とした佇まいで、山口百恵やキャンディーズと同期の新人であったが、すぐに人気を得るには至らなかった。その後、本格的な演歌歌手へと転向して1977年の元日にリリースされた、実に15枚目にあたるシングル「津軽海峡・冬景色」で大ブレイクを成し遂げる。続けて「能登半島」「暖流」「沈丁花」などをヒットさせ、80年代には決定打となる「天城越え」で歌謡界における堂々のポジションを得たのだった。紅白歌合戦にも2018年末までに41回出場し、今や日本を代表する女性演歌歌手といっていいだろう。1月30日は石川さゆりの61歳の誕生日。現役で歌い続けている彼女にはさらなる活躍が期待される。
熊本に生まれた少女・石川絹代は、小学校1年の時に観た島倉千代子のショーに感銘を受けて歌手の道を志す。小学校5年の時に一家で横浜市に転居してからは歌のレッスンを受け、中学生になってから出演したのど自慢番組に合格した際、ホリプロからスカウトされて芸能界入りを果たした。デビュー曲「かくれんぼ」は日本調ながらもアイドルのジャンルに属するような可愛らしい楽曲であった。キャッチフレーズが“コロムビア・プリンセス”だったことからも、発売元のコロムビアレコードの力の入れ様が窺える。所属事務所のホリプロとしても、森昌子、山口百恵と共に“ホリプロ3人娘”としての売り出しを図ったが、同じ『スター誕生!』出身だったサンミュージックの桜田淳子の人気が圧倒的で、マスコミはこぞって“花の中三トリオ”(森昌子・山口百恵・桜田淳子)を取り上げ、“ホリプロ3人娘”は結局幻に終わってしまった。
その後、奇しくも中三トリオが高校卒業となってトリオを解散した1977年、石川さゆりの歌手としての運命を決定づける「津軽海峡・冬景色」が大ヒットする。前年に出されたアルバム『365日恋もよう』に収録されていた曲のシングル・カットだった。昭和の終りに廃止された青函連絡船在りし日の風景を作詞の阿久悠が叙情的に描き、作曲の三木たかしによる抑揚あるメロディが心を打つ傑作を、まだ18歳だった石川が見事に歌い上げた。賞レースではTBS『第19回日本レコード大賞』歌唱賞、フジテレビ系『FNS歌謡祭』グランプリなど数々の賞を受賞し、大晦日の『第28回NHK紅白歌合戦』へも初出場を果たす。この一曲で、それまで演歌アイドル的な存在であった彼女は押しも押されもせぬ演歌歌手となり、同年から翌1978年にかけてのシングル「能登半島」「暖流」「沈丁花」を連続ヒットさせたのだった。
1980年代前半には大きなヒットに恵まれずに苦戦した時期もあり、1983年には紅白歌合戦の選にもれてしまうこともあったため、1985年の「波止場しぐれ」が久々のヒットとなり、レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞した際は喜びもひとしおであったに違いない。そしてその翌年の1986年、いよいよ「天城越え」が登場する。作詞の吉岡治、作曲の弦哲也、編曲の桜庭伸幸が伊豆の天城湯ヶ島の温泉旅館・白壁荘に泊まり込んで楽曲の製作にあたったという。万感込めた石川の凄味のある歌唱も素晴らしく、歴代のご当地ソングの大傑作となった。カラオケ・ブームを背景に、石川にしか歌えないような難易度の高い作品が意図されたというだけあって、素人でこの曲を完璧に歌いこなすのはまず無理だろう。この後も「夫婦善哉」「滝の白糸」「風の盆恋歌」などをヒットさせているが、やはり「天城越え」のインパクトは絶大。演歌というジャンルを超えて、歌謡曲のスタンダードとなっている。聴いているうちに自分でも歌いたくなってくる曲の典型といえそうだ。難しい曲であるにも拘らず、比較的若い女性に好んで歌われているのも判る気がする。
「天城越え」は『NHK紅白歌合戦』では1986年の初披露後、2018年までに計11回も歌唱されている。それもここ12年は「津軽海峡・冬景色」と毎年交互に歌われており、いったいこの記録はいつまで伸びるのだろうかと思わせられてしまう。記録が続いて欲しいと願う一方で、いきなり「ウイスキーが、お好きでしょ」なんかを歌って裏切るのを見たい気もするが、なんといってもこの2曲を超えるような大きなヒットがまた生まれて均衡が崩れる瞬間が見られたらこの上ない。
石川さゆり「かくれんぼ」「津軽海峡・冬景色」「天城越え」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
その年の日本の音楽シーンを振り返る年末の風物詩、日本レコード大賞もこの2018年で回を重ねること60回。現在は12月30日に開催されている同賞は、1969年から2005年までの36年間は12月3...
1972年9月10日、ちあきなおみの13枚目のシングル「喝采」がリリースされた。この曲でちあきは同年の「第14回日本レコード大賞」を受賞する。発売からわずか3ヶ月での大賞受賞は、当時の最短記録で...
素朴で親しみやすい笑顔の、庶民的なキャラクター。背中を丸めながらアコースティック・ギターをつま弾く、ちょっと寂し気な姿。70年代後半のアイドル・ポップスを語るときに、忘れ難い一輪の花。本日9月7...
歌手としての実力はもとより、優しく穏やかな人柄にも定評がある演歌界の大スター・八代亜紀。1971年、21歳でレコードデビューするもすぐには売れず、ブレイクを果たしたのが、73年の「なみだ恋」であ...
1970年8月10日、ちあきなおみの5枚目のシングル「X+Y=LOVE」がリリースされた。オリコン・シングル・チャートで週間最高5位を記録、前作「四つのお願い」に続くヒットとなった。ある日、作詞...
本日8月8日は、女優・前田美波里の誕生日。今日で70歳を迎えるとは信じられないくらい、ミュージカル魂に決して衰えを感じさせない現役一筋の人である。68年にはマイク真木と結婚することになる元祖スー...
1960年代末、「愛の奇跡」でデビュー・ヒットを飾ったデュオ、ヒデとロザンナの5枚目のシングル「愛は傷つきやすく」がリリースされたのは70年5月25日。発売から2ヶ月以上経った8月3日付のオリコ...
1971年7月26日、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。この日から12週に渡って首位を独走、遂には71年の年間セールス1位を獲得するまでに至...
石川さゆりの代表作「津軽海峡・冬景色」をはじめ、テレサ・テン「つぐない」、わらべ「めだかの兄妹」など、国民的なヒット曲を次々と世に送り出した作曲家、三木たかしが2009年5月11日にこの世を去っ...
1975年12月21日太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が発売された。現在のJ-POPに通じる原点との評価も高い、まさしくエポックメイキングな一曲。もともとは3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』...