2019年05月30日
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2019年05月30日
ミレニアム・イヤーと呼ばれて世間が何かと騒がしかった2000年の初夏、ショッキングなニュースが流れてきた。それは全く思いも寄らぬ、作曲家・井上大輔の訃報であった。グループ・サウンズ時代はジャッキー吉川とブルー・コメッツのメンバーとして人気を博し、その後は本名の井上忠夫からペンネームの井上大輔へと名前を変えつつ、作曲家として数多くのヒット曲を生み出した。一方で自身でもアニメソングやCMソングを歌ってヒットさせている。本日5月30日は井上大輔の命日。あれから19年もの歳月が流れ、存命であれば今年で78歳を迎える。作曲家として、プレイヤーとして、まだまだ才能を発揮していたに違いない。
1941年東京生まれの井上は、日本大学芸術学部に在学中だった1963年にジャズ喫茶で演奏していたところを大橋プロにスカウトされて、ジャッキー吉川とブルー・コメッツのメンバーとなった。まだグループ・サウンズ期になる以前、バンドとして鹿内タカシや尾藤イサオのバッキングを務めていた時代である。翌64年に三原綱木が加入するなどいくつかのメンバーチェンジを重ねて後の顔ぶれが揃い、66年からは遂にヴォーカルを配する形での活動が始まる。ヴォーカルとフルート、サックス担当の井上は女性ファンからの絶大な人気を誇った三原と共にバンドの顔として活躍を続けた。72年にバンドを離れてからはソロ活動へと転化し、76年に出された初のソロ・アルバム『水中花』はとりわけ評価が高い。並行して作曲家としての活動も本格化してゆく。ブルコメ時代にもバンドの曲をはじめ、美空ひばり「太陽と私」など楽曲提供作品は少なくなかったものの、70年代半ばからはいよいよ提供曲からの目立ったヒットが出始めることとなった。
中でも大きなヒットは、フィンガー5に書いた「恋のダイヤル6700」と「学園天国」だろう。もちろんレコード大賞を獲った「ブルー・シャトウ」などで既に作曲の才能は認められていたものの、いわゆる職業作曲家としてのポジションが確立されたのはこの辺りではなかったろうか。ほかにも鹿内孝「本牧メルヘン」や、テレサ・テン「夜のフェリーボート」、アグネス・チャン「美しい朝がきます」など様々なタイプの作品を連ねながら、81年に井上忠夫から井上大輔へ改名すると、ヒットメーカーとしてさらなる活躍を遂げる。もともとは内田裕也が間違えて呼んだことがきっかけで定着したというニックネーム“大ちゃん”が活かされることとなった。その中でシャネルズ(後のラッツ&スター)の「ランナウェイ」に始まる一連のヒット、さらにシブがき隊の「NAI・NAI 16」に始まる一連のヒット、そして郷ひろみ「2億4千万の瞳」などが決め手となり、井上の才能が改めて世に知らしめられる。マルイの「言葉がヘタだから」や、コカ・コーラの「I FEEL COKE」など、多くの人々に耳憶えがあるであろうCMソングにも健筆を揮った。
ほかに忘れてはならないのが特撮・アニメ関連の楽曲で、73年の特撮TV作品『スーパーロボット レッドバロン』の主題歌を皮切りに、姉妹篇の『スーパーロボット マッハバロン』、80年代には戦隊シリーズの『光戦隊マスクマン』の主題歌も担当している。アニメでは78年の『無敵鋼人ダイターン』に、山瀬まみが歌った『機甲戦記ドラグナー』などなど。そして自ら歌った映画作品『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』の主題歌「哀 戦士/風にひとりで」と、その続編『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』の主題歌「めぐりあい/ビギニング」はいずれも歌手としてはブルコメ時代以来のヒットとなり、熱狂的な支持者を得るに至った。ガンダムへの楽曲依頼は、演出家の富野喜幸(現・富野由悠季)が日大芸術学部の同級生で友人だったことによるという。遺作となったのは99年、日本中央競馬会 (JRA) の現役騎手6人からなる歌手ユニット“J6(ジェイシックス)”が歌った「Destination」であった。サックス・プレイヤーとして、山下達郎の「悲しみのJODY」や「スプリンクラー」に参加したことはあまり知られていないだろう。
フィンガー5「恋のダイヤル6700」「学園天国」シャネルズ「ランナウェイ」井上大輔「めぐりあい/ビギニング」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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