2018年11月02日
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2018年11月02日
今から51年前の1967年11月2日は、ブルー・コメッツの「北国の二人」(作詞・橋本淳/作曲・井上忠夫)が幻の“オリコン史上初のシングル1位”に輝いた日である。
『オリコン』30周年を記念して発刊された『オリコンNo.1 HITS 500』(1998年11月1日・クラブハウス)は、1968年に正式にスタートしたオリコンのシングル・チャートについて、「実はその前年に実験的にチャートの制作が行われ、そのときの1位は『北国の二人/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ』だったが、これは正式記録としては登録されておらず、幻の1位となっている」と裏話を明かしている。
1966年2月にインスト曲「サンダーボール」でデビューしたブルー・コメッツは、同年3月にリリースした「青い瞳」(作詞・橋本淳/作曲・井上忠夫)[英語盤]に続いて、同年7月に発売された「青い瞳」(同)[日本語盤]も大ヒットして、この年のNHK紅白歌合戦に初出場。1967年には、3月に「ブルー・シャトウ」(作詞・橋本淳/作曲・井上忠夫)、6月に「マリアの泉」(作詞・橋本淳・作曲・井上忠夫)、9月に「北国の二人」と3枚のシングル盤をリリース、何れも大ヒットして、NHK紅白歌合戦に連続出場するとともに、年末には「ブルー・シャトウ」が第9回日本レコード大賞を受賞している。
1967年はいわゆるグループサウンズ(GS)ブームが大ブレークした年として記憶されているが、ブルー・コメッツにとっても全盛期を迎えた年であり、「北国の二人」はそのブルコメ人気のピークを象徴する楽曲だったとも言えるだろう。
当時、小学校6年生だった筆者も、愛読していた少年雑誌のひとつで「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などの人気漫画が連載されていたことでも知られる『少年』のグラビアページに、「北国の二人」を歌っていた頃のブルコメが登場したことを覚えており、GSブームは少年雑誌にまで波及していたのである。
また、筆者が後年、神保町の古書店で購入した少女雑誌『マーガレット』の1968年お正月増刊号の巻頭グラビアページでは、「ヒットソング絵ものがたり」という特集企画で黛ジュンの「霧のかなたに」(作詞・なかにし礼/作曲・中島安敏)とともに、ブルー・コメッツの「北国の二人」とザ・タイガースの「モナリザの微笑」(作詞・橋本淳/作曲・すぎやまこういち)が取り上げられており、GSが社会現象化していたことの証左とも言えそうだ。
シングル盤の音源としては、「青い瞳」に続いてイントロでジャッキー吉川によるドラムソロが入る「北国の二人」は、歌謡曲テイストの強い曲調でありながらも、「ブルー・シャトウ」と「マリアの泉」ではオーケストラのストリングスも入っていたのに対し、ブルコメの演奏だけで歌われており、当時、自他ともに認める“GSの王者”として君臨していた勢いを十二分に感じ取ることができる。
1967年10月に発行された『別冊スクリーン/ブルー・コメッツ特集号』では、ブルコメのメンバーによる座談会が誌上採録されており、その中で「北国の二人」のレコーディングを次のように振り返っている。
三原) クタクタだよ、貧血起こしそうだ(笑)。
井上) 1日じゅうスタジオにカンヅメになってると、むしょうに外の空気が吸いたくなるネ。
高橋) 正味五時間で2曲…まあまあってとこだネ。
ジャッキー) 昔は1日に6曲ってこともあったからネ、あれからくらべると楽なもんだ。
小田) だいたい、うちの連中はみんな音にうるさすぎるヨ。
井上) そういう先生(小田さんのこと)が、いちばん神経質じゃないか(笑)。
三原) もうそのへんでOKにしようよ、なんてネ。口には出さないけど顔に書いてある。(笑)。
高橋) だけど愉快だったネ、レコーディングのとき、ファンの女の子をスタジオに入れたなんて、前代未聞じゃないかナ。
小田) 少なくとも、オレたちの経験ではなかった。
井上) あれ、座長の発案なんだって?
ジャッキー) というわけでもないけど、こないだ富山に巡業に行ったとき、テレビでビートルズの録音風景を見たのがヒントなんだ。
三原) すごかったネ、あれ。パーッと紙吹雪かなんかまいちゃって。
ジャッキー) あれでグッと雰囲気が盛り上がる。一度うちでもやってみたいと思っていたんだ。
小田) 女の子たち、大喜びだったネ。
高橋) ディレクターが踊りのできそうな子を5人選んでくれたんだけど、なかなかうまかった。
「北国の二人」のレコーディングでは、スタジオにファンの女の子を入れて演奏に合わせて踊ってもらいながらセッションを行ったというエピソードは、ファンの間で“ブルコメ都市伝説”のように語り継がれてきていたが、この『別冊スクリーン』の座談会での発言は、その都市伝説を裏付けるものとなっている。
また、「ブルー・シャトウ」は3分で完成したという井上忠夫による作曲の早さも“ブルコメ都市伝説”とも言うべきものだが、「北国の二人」の作曲エピソードも、同じ『別冊スクリーン』の座談会で、次のように語られている。
高橋) ダイちゃん(井上さん)の作曲は、あいかわらず早いね。「北国の二人」は30秒で書いたんだって?(笑)。
井上) とんでもない! あれはこの前の休暇のとき、ほら、はじめて2日間、休めたことがあったろう。あのとき、作詞の橋本淳さんと念願の北海道旅行をしてね、湖のほとりのホテルでじっくり作ったんだよ。
三原) 意外とロマンチックなとこ、あるじゃないか。
その「北国の二人」は、オリコンチャートが正式にスタートした1968年1月4日付のベスト10では7位にランクされており、1位から10位までの楽曲が実に多種多様だったことに驚かされる。
1位 ラブユー東京/黒沢明とロス・ プリモス
2位 世界は二人のために/佐良直美
3位 オーケー/デイヴ・ディーグループ
4位 モンキーズのテーマ/ザ・モンキーズ
5位 命かれても/森進一
6位 いつまでもどこまでも/ザ・スパイダース
7位 北国の二人/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
8位 花のサンフランシスコ/スコット・マッケンジー
9位 愛のこころ/布施明
10位 虹色の湖 /中村晃子
ちなみに、オリコンチャートが正式にスタートした後、ジャッキー吉川とブルー・コメッツのシングル盤で最高位となったのは、1968年11月に発売された「さよならのあとで」(作詞・橋本淳/作曲・筒美京平)の3位で、「脱GS路線を図ったブルコメの歌謡曲転向第1弾」といった評価を受けている楽曲であり、他のGSファンから「裏切者」呼ばわりされただけでなく、この曲でブルコメから離れていったデビュー当時からのファンも少なくなかった。
「北国の二人」を作曲した井上忠夫にとって、初めてオリコンチャートのシングル盤1位となった楽曲は、作曲家として独立してから手掛けたフィンガー5の「恋のダイヤル6700」(作詞・阿久悠/作曲・井上忠夫)で、1973年12月5日のことだった。
“昭和歌謡のヒットソングメーカー”として確固たる足跡を残した井上忠夫のシングル盤1位曲を辿ると、1980年2月25日付のシャネルズ「ランナウェイ」(作詞・湯川れい子)、1981年2月1日付のシャネルズ「街角トワイライト」(作詞・湯川れい子)があるほか、井上大輔に改名した後も、1983年4月1日付のラッツ&スター「め組のひと」(作詞・湯川れい子)などが続いている。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「青い瞳(英語盤)」「ブルー・シャトウ」「マリアの泉」「北国の二人」「さよならのあとで」ジャケット撮影協力:鈴木清美
≪著者略歴≫
鈴木清美(すずき・きよみ):1955年生まれ。新潟県長岡市出身。幼少の頃から叔母や姉の影響で青春歌謡にどっぷり浸かるも、全盛期のザ・スパイダースとザ・タイガースを生で見てGSに転向。周囲の反対を押し切って、中1でブルコメ・ファンクラブに入会。1997年にホームページ「60年代通信」を開設、1960年代の大衆文化や生活文化への愛情を注ぎ込んでいる(「60年代通信」はリニューアル公開に向けて準備中)。
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