2018年02月24日
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2018年02月24日
70年代には「グッド・バイ・マイ・ラブ」や「女はそれを我慢できない」、80年代に入ってからは「ラ・セゾン」や「六本木心中」、「あゝ無情」などなど、幅広い時代に跨ってヒット曲を歌い続けたアン・ルイスは、ファッションリーダーでもあり、常にカッコイイ存在だった。2013年に芸能界引退を宣言してから早5年が経とうとしているが、彼女の歌声を耳にする機会は今でも少なくないし、なぜか全然古びていないダンサブルなナンバーは世代を超えてカラオケでも愛好されている。アン・ルイスが最初のレコード「白い週末」を出したのは1971年2月25日。デビューから実に47年を数える今年、彼女がまだ10代だった頃の70年代の初期アルバム7タイトルがまとめて復刻されるニュースが届いた。アルバム単位ではファースト以外、今回が初CD化になるという。
アメリカ海軍の軍人だった父親と日本人の母親を両親に持つアン・ルイスは神戸で生まれ、横浜の本牧で育った。7歳の頃からモデル活動をはじめ、1971年、14歳の時に歌手デビューを果たす。デビュー曲「白い週末」は、翌年開催された札幌オリンピックに因んだ曲で、カップリングも札幌の街が舞台の「白い街サッポロ」。彼女を横浜の外人墓地で見つけてスカウトしたというなかにし礼の作詞、そしてやはりヒットメーカーとして活躍していた川口真の作曲による歌謡ポップスを歌うアン・ルイスはとても14歳とは思えないほど堂々としていい意味で新人らしさを感じさせない。渡辺プロダクションに所属した彼女は、デビュー前にゴールデン・ハーフが当初の5人から1人抜けた際、メンバーに乞われたこともあったというのは本人が語っていたエピソード。結局断ってソロ・デビューへと至ったわけだが、もしもゴールデン・ハーフに参加していたら、後の活躍はなかったかもしれない。
最初のアルバム『雨の御堂筋/アン・ルイス・ベンチャーズ・ヒットを歌う』はタイトル通り全曲ベンチャーズ・ナンバーのカヴァーで、欧陽菲菲のデビュー曲だった表題曲「雨の御堂筋」をはじめ、「二人の銀座」や「京都の恋」など、いわゆるベンチャーズ歌謡のカヴァーに挑んでいる。翌73年のセカンド・アルバム『おぼえてますか』では、スマッシュヒット「わかりません」のほかオリジナルを中心に構成されており、作詞陣に千家和也、安井かずみ、なかにし礼、山上路夫、作曲陣には川口真、竜崎孝路、すぎやまこういち、井上忠夫(後の井上大輔)ら豪華メンバーが連なる贅沢な歌謡ポップス・アルバムとなった。ジャッキー吉川とブルー・コメッツも同時期に歌っていた「ひとりぼっちの男の子」は、この後に展開されてゆく“歌謡ロック”の萌芽ともいえる躍動的なナンバーとして特筆に値する。
74年にはなかにしが作詞し、平尾昌晃が作曲を手がけた6thシングル「グッド・バイ・マイ・ラブ」がヒットして、お茶の間にもいよいよ存在感をアピールした。チャートの最高順位も14位まで上昇している。このヒットを受けて、それまでの全シングル曲が収録されたベストアルバム『グッド・バイ・マイ・ラブ』が編まれ、さらにこの年には7thシングルがフィーチャーされたアルバム『ハネムーン・イン・ハワイ』も出された。A面はオリジナル、B面はオールディーズを中心としたカヴァーが楽しめる多彩なアルバムであった。翌75年には9thシングルがタイトルに掲げられた『恋のおもかげ』がリリースされ、これが初の純粋なオリジナル・アルバムとなる。作家陣には新たに穂口雄右、森田公一、加瀬邦彦らが加わり、歌手アン・ルイスの世界観がさらに拡がりを見せた。次のアルバム『恋を唄う』では伸びやかなヴォーカルにさらなる進化が見てとれる。本人は苦手だとよく言っていたバラードナンバーと、煌びやかなオールディーズ・カヴァーがいい具合で混ざり合い、聴き応え満点。ボーナス・トラックとして当時はアルバムから漏れていた、11thシングル「ごめんなさい」と12th「ラスト・コンサート」のAB面も収録されている。
全編オールディーズ・カヴァーを中心に収録された企画盤『ロッキン・ロール・ベイビー』は後のカヴァー・アルバムの名盤「チーク」が生まれる伏線になったと思われるコンセプト・アルバム。ボーナス・トラックとして収録された13枚目のシングル「甘い予感」は松任谷由実の作によるナンバーで、ユーミン自身も後にセルフカヴァーしているが、アン・ルイスの絶妙な浮遊感漂う歌唱がメロディにマッチした傑作である。外国人のフィーリングを持つアンに曲を書いてみたいという松任谷由実の発言を聴きつけて依頼したのは大正解だった。この後、沢田研二らに曲を提供していた加瀬邦彦の作による「女はそれを我慢できない」のヒットで歌謡ロック路線に突入しつつ、さらに大瀧詠一や山下達郎からの楽曲提供を受け、80年代にはどんどん進化を遂げてゆくわけだが、それ以前の70年代のアン・ルイスの歌手活動は、才能あふれる作家陣とミュージシャンたちが構築した輝かしい歌謡ポップスとカヴァーが融合した魅力的な世界であった。歌謡曲好きも洋楽好きも共に楽しめるアルバム群を、この機会にぜひとも多くの方々に聴いていただきたいと願う。
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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