2019年05月29日

1971年5月29日、ザ・ローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」が全米1位を記録~この傑作曲はどのようにして生まれたのか?

執筆者:池田祐司

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およそ50年前、ザ・ローリング・ストーンズの傑作「ブラウン・シュガー」は生まれ、そして本日は全米ヒット・チャート第1位に輝いた記念すべき日である。


天下一品、単純にして明解、問答無用のイントロで始まる「ブラウン・シュガー」は、ストーンズのライヴにおいて、観衆参加型の看板曲と言っていいだろう。今ではストーンズと観客が一体となってカタルシスを生み出す素晴らしい曲である。スタジアムの大観衆がミックに合わせて、ここぞとばかりに「イエ!イエ!イエ!」と声を張り上げて「ホウ!」と腕を天に振り上げ叫ぶ光景は圧巻である。実に良く考え抜かれた曲であると思う。さて、どのようにしてこの傑作中の傑作は生まれたのだろうか?


後年ミック・ジャガーが語る所によれば、この曲のアイデアは、1969年7月に映画『ネッド・ケリー』撮影の為にオーストラリアはシドニーに滞在している時に思いついたという。

映画の撮影の合間に、作詞作曲に余念がなかったようだ(余談になるが、この時、一緒に映画出演する筈だったマリアンヌ・フェイスフルは、麻薬のオーヴァードースで倒れ、映画出演を降板している)。最初は、歌詞がはっきりしない、アコギを使ったカントリー調の曲だったらしい。それが、10月中旬になって、デビュー以来6回目となるアメリカン・ツアーの為にストーンズの面々は米国ロスアンゼルスにあったスティーヴン・スティルスの邸宅に集合し、地下にあったスタジオでリハーサルを開始した時から化学反応が始まったようだ。この時に初めて、ミックは他のメンバーに「こんな曲を作ったのだけれど、どうだい?」と相談を持ちかけたようだ。キースの自伝『ライフ』によると、歌詞の一部はピアニストの故ジム・ディッキンソンのアイデアも入っているそうだ。またサックス奏者の故ボビー・キーズによれば、単純にして印象的なイントロについて「あれはサックスの音をキースがギターで、なぞったんだ(だから俺にもっと金をくれよ)」と発言したという説があり、要するに骨格はミックが考え、後はバンドとその周辺のミュージシャンが、冗談混じりにアイデアを出し合って肉付けし完成した曲と言う事になろうか。その後、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンの楽屋でティナ・ターナーに、ミックが「ブラウン・シュガー」をギターを弾いて聴かせる映像が残っているのを見ると、色々な妄想が湧いて来る。 


この時期(60年代後半)、ストーンズは波瀾万丈の、まるで嵐が吹き荒れるような情況にあった。言い換えると有名なポップ・スターではあったものの、実態は風前の灯火のようでもあった。周知のように一番の大きな試練は、ブライアン・ジョーンズの衰弱と急逝である。そしてレコード会社との理不尽な契約問題、すなわちそれはバンド維持のために必要な財務状況の、悪化の問題。働けど働けど、実入りが少なく、浪費癖もあり破産に追い込まれていた。そこに登場したのは、音楽とは関係のない故プリンス・ルパート・ローウェンスタイン だった。彼は法律や財務に精通しストーンズの運営に様々な提案をした。ストーンズは救世主となったルパートのアドヴァイスを聞き入れ、南フランスに移住し、活動を持続させようと目論んだのである。さらに非道なアレン・クラインとの契約を解除し、アブコから離れ、新しく「ローリング・ストーンズ・レコード」を設立し、アメリカでの配給を故アーメット・アーティガンに委ね、今をときめく「ベロ・マーク」を考案させ、新たにミック・テイラーをバンドメンバーとして向かい入れ、心機一転、新たな音楽的境地を求めたのである(残念ながら、アレン・クラインとの契約、つまりアブコとの不本意な契約は今でもストーンズを拘束している。それ故に最新ベスト・アルバム『HONK』には60年代のスタジオ録音楽曲は入っていない)。


その新たなレーベルの第一弾シングルが「ブラウン・シュガー/ビッチ」なのである。1971年4月16日に英米で発売され、日本では遅れる事約1ヶ月、5月22日、ワーナーパイオニアから発売された。「ブラウン・シュガー」は1969年11月21日から23日にかけて、メンフィスに近いアメリカ南部アラバマ州マッスル・ショールズで録音されたもので、おそらくミックにしても、キースにしても、チャーリーにしても、相当気合いの入った作品ではなかったかと思われる。バンドの存亡をかけて全身全霊を込めて、取り組んだと推測される。実に録音されてから1年以上経過して、発売となった。映画「ギミー・シェルター」には、そのマッスル・ショールズでの様子が映像化されている。中でも、ホテルに到着したミックが、「ブラウン・シュガー」のデモを聴きながら、肘を曲げてリズムを取り、少し笑いながらカメラに向ってポーズする場面、つんつん頭のキースが煙草をくわえながら、首と腰をふりリズムをとる仕草は、とても印象的だ(その映画でのイントロには、正規盤にはないギターサウンドが聴こえるのでラフミックスに違いない)。


ところで、この「ブラウン・シュガー」で歌われる詩的物語の寓話性や歴史観(?)には、賛否両論があって面白い。そもそも「ブラウン・シュガー」とはなんぞや、という議論がある。アヘンに含有するモルヒネから抽出合成されるヘロインの、未精製段階の薬物のスラングであるとか、いやいや黒人女性のニックネームであるとか、いやいや、ただの黒砂糖である、とかなんとかかんとか。黒人女性歌手クローディア・レニアと一夜を共にしたミックの赤裸々なラヴ・ソングだの、「スカイ・ドッグ」というニックネームがあるデュアン・オールマンを皮肉っているとか。(デュアン・オールマンはマッスル・ショールズのスタジオに出入りしていて、いつもラリっていた。)

また他にアルバム『スティッキー・フィンガーズ』に収録されている「シスター・モーフィン(モルヒネ)」とつなげて麻薬関連の姉妹曲である、とか。女性蔑視の歌、奴隷制を容認する歌、黒人差別の卑劣な歌、サディズム肯定ソング、快楽主義者の歌、性的エクスタシー・ソングなどなど。その中でもユニークなのが、「ミックはバーン・シュガー(Burn Sugar)と歌っていて、砂糖を燃やす、ってなんだ?」というものまである。ともかく発売当時、歌詞カードも無く、色々と物議を醸した歌詞である。それでミックに直接聞いた事がある。すると何とも思わせぶりな返答だった。「ご想像におまかせするよ」と苦笑いを浮かべた。


それで勝手に想像する事にした。この歌詞には暗喩的にいくつかの物語が隠されていて、ひとつはまさに「アフリカから運ばれた悲惨な黒人奴隷の歴史物語」だ。黄金海岸からニューオリンズの綿花畑に強制的に連行された黒人奴隷の不条理。そこから副産物として生まれた音楽「ブルースへの讃歌」である。ミックは多分、ブルースという音楽の魅力を麻薬のそれと重ね合わせた。また黒人女性への蔑視どころか、敬愛と畏敬の念をこの曲に込めた。さらには翻って、ヨーロッパの知性と頽廃、アフリカンの持つ原初性と舞踏の魅力を念頭に置いたにちがいない。表面的にはスキャンダラスで性的なSM趣向を見せながら、悲惨な黒人奴隷たちは、実は楽天的で、深夜に秘かに音楽を演奏しながら、人生を謳歌したのではないかという仮説が思い浮かぶ。さらには学歴がなくとも、ダンスミュージックがあれば、楽しく生きられると言っているようにも感じる。「本当は恐い童話の正体」の裏返しになっているようにも感じた。歌詞全体は起承転結がなく、意味が不明瞭で非連続な物語に見える。それは1番から3番までのそれぞれのテーマが、同じではないからだと思われる。ある意味でミックの作る詩的言語世界は、とてもシュールだと考えている。


蛇足だが、一般発売の前年、1970年12月18日、ロンドンのオリンピック・スタジオでキースの27歳の誕生パーティが催された。そこでエリック・クラプトンとアル・クーパーが参加した「ブラウン・シュガー」が演奏され録音された。これを聴くと、なぜか、この曲の名脇役は、故ボビー・キーズではなかったかと思うほど、サックス・プレイが素晴らしい。

ザ・ローリング・ストーンズ「ブラウン・シュガー」ジャケット撮影協力:鈴木啓之


≪著者略歴≫

池田祐司(いけだ・ゆうじ):1953年2月10日生まれ。北海道出身。1973年日本公演中止により、9月ロンドンのウエンブリー・アリーナでストーンズ公演を初体感。ファンクラブ活動に参加。爾来273回の公演を体験。一方、漁業経営に従事し数年前退職後、文筆業に転職。

Sticky Fingers (Remastered) ザ・ローリング・ストーンズ 1971/4/22

The Rolling Stones Singles Collection * The London Years ザ・ローリング・ストーンズ1989/8/14

Honk ザ・ローリング・ストーンズ2019/4/19

ザ・ローリング・ストーンズ / ギミー・シェルター 〈デジタル・リマスター版〉 [DVD]ザ・ローリング・ストーンズ (出演), デヴィッド・メイズルス (監督), アルバート・メイズルス (監督) 形式: DVD

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