2019年07月25日
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2019年07月25日
1978年7月25日、岩崎宏美のシングル14作目にあたる「シンデレラ・ハネムーン」が発売された。のちにコロッケのモノマネで有名になるこの曲は、当時大流行のミュンヘン・サウンドを歌謡曲に取り入れた、ダンサブルなディスコ・チューン。作詞はデビューから途切れずに担当してきた阿久悠。作曲は、彼女のデビュー以来8作連続で作曲を手掛けてきた筒美京平。彼女の育ての親ともいえる2人による楽曲だが、筒美が岩崎へ楽曲提供するのは、6作ぶり、1年半ぶりである。
「シンデレラ・ハネムーン」は、トレンドのミュンヘン・ディスコを歌謡曲に大胆に導入した作品で、イントロはミュンヘン・ディスコの歌姫ドナ・サマーの「ワンス・アポン・ア・タイム」の応用。岩崎はデビュー当時、筒美から「あなたの声は低音域に魅力があるので、そこを常に意識するように」と言われたという。高音域の伸びを評価される事が多かった岩崎は驚いたそうだが、この曲では、まさに20歳を迎えて大人っぽい艶が増した彼女の低域を強調するように作られている。また、3番のみAメロの途中で短いブリッジを入れたり、後半部のメロディーを3番のみ変えたりして、飽きさせない工夫が施されている。
初期の宏美=京平ディスコ路線は、ヴァン・マッコイ「ハッスル」やスタイリスティックス、あるいはフィラデルフィア・ソウルをヒントにしたゴージャスなストリングスやシンガーズ・スリーのコーラスなど70年代中期のディスコ・トレンドの応用が中心であったが、78年段階ではミュンヘン・ディスコのような欧州系ディスコを持ち込んできた。同じく筒美の作編曲で、この曲の1ヶ月前にリリースされた桜田淳子の「リップスティック」もやはり西ドイツ産のバカラ「誘惑のブギー」の応用で、トレンド洋楽の動きに敏感だった筒美の姿勢が伺える。また、所属のビクターはディスコものの発掘とリリースに熱心だった会社で、岩崎宏美のディスコ路線復活は同社にとっての「正攻法路線」でもあった。
岩崎宏美は1975年4月25日、「二重唱(デュエット)」でのデビュー以来、作詞を阿久悠が、作曲・編曲を筒美京平が担当し(「二重唱」のみ編曲は萩田光雄)、2作目でオリコン1位の大ヒットとなった「ロマンス」以降は「センチメンタル」「未来」など伸びのある高音域を強調した和製ディスコ・チューンを立て続けに発表し、トップクラスのアイドルシンガーとして大活躍していた。
だが、通算8作目「想い出の樹の下で」を最後に、岩崎宏美は一旦、筒美京平の手を離れることになる。これには諸事情あったようだが、さすがに同傾向のディスコ路線を続けすぎ、高度なメロディーを歌わせることで彼女の特筆すべき歌唱力がサウンドの実験的に扱われてきた、という印象もあって路線変更を余儀なくされたのかもしれない。本来的にはその歌唱力を活かした本格派歌手としての力量をアピールすべき時期に来ていたともいえる。
とはいえ筒美もデビュー曲「二重唱」のB面「月見草」では、まるで唱歌のごとき美しいバラードを提供しているのだから、最初から彼女の資質と、その歌唱力を熟知していたのだ。
デビューから岩崎を担当していたビクターのディレクター・笹井一臣とも「想い出の樹の下で」が最後となり、次の「悲恋白書」からは飯田久彦に交替。飯田は作詞の阿久悠は継続したまま、この曲以降、作曲家を1作ごとに変えていく方針をとった。「悲恋白書」では大野克夫、次の「熱帯魚」では川口真、そして「思秋期」で三木たかしを起用し、歌唱力を存分に活かしたスケールの大きなバラードを歌わせ、成功を収めている。そして穂口雄右の正攻法ポップス「二十才前」、再び三木たかしによるワルツの「あざやかな場面」が続き、「シンデレラハネムーン」で筒美登板となったのだ。
筒美京平が、歌姫としての岩崎宏美にどれだけ執心していたかは、この「シンデレラ・ハネムーン」における力の入れ具合をみてもよくわかる。1年半ぶりの邂逅とあって、持てるアイデアのすべてを注ぎ込むかのように、岩崎に新たなる和製ディスコ・チューンを歌わせた。その力の入り具合が一層顕著になったのが、8月25日リリースのアルバム『パンドラの小箱』で、「シンデレラ~」を含む全曲筒美の作曲。編曲も「コントラスト」の船山基紀を除けばすべて自身が担当。作詞には阿久悠のほか初顔合わせの阿木燿子、島武実、そして盟友の橋本淳といった布陣で、京平流和製ディスコの集大成アルバムを作り上げた。ここで筒美はDr.ドラゴンを名乗り、バックの演奏陣も「サウンド・オブ・アラブ」と名付け、アルバムの世界観を統一。疑似洋楽ディスコとして発表した「セクシー・バス・ストップ」の際に命名した「オリエンタル・エクスプレス」のような特別仕様で臨んだ。その点だけ見てもやる気満々、筒美がどれだけ岩崎とのコラボ復活を待ち望んでいたかがわかる。ちなみに「サウンド・オブ・アラブ」の面々は林立夫、松原正樹、後藤次利、坂本龍一、斉藤ノブなど。楽曲もメロウなフィリー系バラード「カンバセーション」、ツイン・ドラムの16ビートが唸るスティーヴィー・ワンダー「迷信」風の「媚薬」、ほかにもバリー・ホワイト風のナンバーなど多彩なアイデアを注ぎ込み、桁外れに濃密なアルバムに仕上げている。
意外なことだが、「シンデレラ・ハネムーン」はオリコン・シングル・チャートでは最高13位と、そこまでの大ヒットではなかった。それでもこの曲が多くの人の記憶に残っているのは、歌番組やステージでみせる、手を腰のあたりでぐるぐる回しながらステップを踏む独特の振りつけも大きいのではないか。あれほど激しい振りなのに、歌を全くブレずに聴かせる姿はまさに全身がリズムの塊。コロッケがモノマネにこの曲をチョイスしたのも、そのパフォーマンスが強烈だったからに違いない。一時期はモノマネの印象が強すぎて、ステージでもこの曲を封印していたが、現在では復活している。楽曲の知名度も未だ高く、彼女の代表作の1つと呼んでいいだろう。
この「シンデレラ・ハネムーン」のリリースに合わせ、同年8月12日には日比谷野外音楽堂で「サタデー・ナイト・イン・ヒビヤ」が開催された。筆者はこの時、初めて岩崎宏美のコンサートを目にしたが、ダイアナ・ロスなどの洋楽ナンバーから数々のヒットナンバーまで、抜群のリズム感と歌唱センスの高さで歌い尽くす、歌姫の姿に圧倒された。「シンデレラ・ハネムーン」はアンコール含め2度歌われたと記憶しているが、いずれも日比谷の夜空を突き抜けるかのような、「天まで届く」圧巻の歌声であった。
岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」「想い出の樹の下で」「思秋期」ドナ・サマー「ワンス・アポン・ア・タイム」ヴァン・マッコイ「ハッスル」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットーミュージック)がある。
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