2018年06月07日
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2018年06月07日
本日6月7日は岩崎宏美の28枚目のシングル「聖母(マドンナ)たちのララバイ」が、オリコンシングルチャートで1位を獲得した日。1982年のその日から、今日で36年が経過したことになる。アイドル出身でありながら抜群の歌唱力を誇る岩崎をしても、それまでの自分のレパートリーには一切出てこない「戦士」「戦場」といった硬い歌詞に実感を込めて歌うことができないと戸惑い、またメロディも自分の音域ギリギリで、納得のいく歌唱ができるようなるまで何年もかかった、と後に語るほどの「乗り越えて掴んだ難曲」だったという。1982年5月21日のリリースからわずか2週間という異例の速攻で勝ち得た1位の栄誉だが、このヒット曲には様々な前日談・後日談がある。
ご存じのとおり、この曲は1981年9月29日に放送が開始された日本テレビの2時間ドラマ枠『火曜サスペンス劇場』(1981~2005)の初代エンディングテーマであった。要するに、シングルリリースの8ヵ月前から人気番組のテーマソングとしてテレビ露出が始まっていたことになる。当初は番組のエンドロールで使用する目的で1コーラス分の長さしか録音されておらず、フルコーラス版の制作もレコードリリースの予定も組まれていなかった。しかし、放送開始直後から日本テレビに音源化の要望が多数寄せられたという。そのため、番組使用音源をダビングしたカセットテープを視聴者に抽選でプレゼントするという企画が持ち上がるが、200本用意したカセットに対して35万通の応募が集まるという事態に至る。これは以前、日本テレビにおいて同様のプレゼント企画を実施したドラマ『西遊記』(1978)のエンディングテーマ「ガンダーラ」における10万通の応募を大きく上回ったため、局内でもこの曲の人気の高さがあらためて認識されることとなった。
かくして「聖母たちのララバイ」は、正式なレコード商品として、岩崎が当時所属していたビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売される運びとなり、シングル盤用にフルコーラスのレコーディングがあらためて行われたのだという。蓋を開けてみれば約80.4万枚を売り上げ、岩崎宏美にとっても2nd.シングル「ロマンス」、3rd.シングル「センチメンタル」以来約7年ぶり、通算3作目のオリコンチャート1位シングルとなり、1982年のオリコン年間シングルチャートでも3位を記録するという大ヒットに結びついていく。年末の第13回日本歌謡大賞では大賞を受賞。まさしく1982年を代表するヒット曲として認知されるに至り、続く第24回日本レコード大賞も大いに期待されたのだが……。
1980年のアメリカ映画『ファイナル・カウントダウン』をご存じだろうか。当時新鋭の原子力攻撃空母「ニミッツ」が乱雲に巻きこまれ、1941年の真珠湾攻撃の前日にタイムスリップ。ニミッツ乗組員は、ここで歴史に介入し、日本軍を撃退すべきか否かの岐路に立たされる……という奇想天外な設定のSF仮想戦記映画である。後にこの映画をレンタルビデオ等で観た際、劇中BGMで使用されているモチーフが、「聖母たちのララバイ」の一部のメロディに似ていることに驚いた方もいるのではないだろうか。
実は、『ファイナル・カウントダウン』の劇中音楽作曲家:John Scottから、「聖母たちのララバイ」のメロディが自作と酷似している旨の抗議がシングル盤発売以前に届いており、作曲者:木森敏之もこれが盗用であったことを認めている。そのため「作曲: 木森敏之・John Scott、編曲: 木森敏之」という両名併記のクレジットへの修正対応が必要となり、シングル発売も当初予定から1か月遅れて5月21日発売となったという経緯がある。ヒット曲「聖母たちのララバイ」成立の裏には、このような複雑な事情があったのだ。
「作曲者」問題も上記のような形で決着し、その後、順調に売り上げを伸ばしていく「聖母たちのララバイ」であったが、先ほども触れた年末の日本レコード大賞に大きな落とし穴が待っていた。当時の同賞のノミネート基準の中に、「外国人作家が製作した楽曲を対象外とする」という規定があったのだ。かくして、歌謡大賞ではグランプリを獲得しながらも、レコード大賞にはノミネートすらされないという数奇な運命のなかで、「聖母たちのララバイ」の1982年は幕を閉じたのである。
しかし、「聖母たちのララバイ」はそこで終わったわけではない。明けて1983年の4月まで、『火曜サスペンス劇場』主題歌としての責務を全うするのだ。物語が終わりかけた刹那、一言二言の最後のセリフにオーバーラップする形でイントロが流れ始め、情感たっぷりにエンディングへ流れ込んでいく独特な使用方法もまた、大きな発明だったと言えるだろう。この方式は、アニメ『シティーハンター』(1987)におけるエンディングテーマ「Get Wild」(TM NETWORK)の使用方法において、当時の番組プロデューサーが「聖母たちのララバイを参考にした」と明言しているなど、後年のドラマ・アニメ等の演出に少なからず影響を与えていることも書き添えておきたい。
岩崎宏美はその後も引き続き、「家路」「橋」「25時の愛の歌」「夜のてのひら」と、1987年まで連続して5曲の主題歌を担当。名実ともに『火サス』のイメージを作りあげるシンガーとして番組に大きく貢献していくこととなる。その後2005年まで続き、竹内まりあ「シングル・アゲイン」、高橋真梨子「ごめんね…」、一青窈「ハナミズキ」等を含む26曲の名主題歌を輩出する『火サス』ではあるが、犯罪ドラマとしての殺伐とした雰囲気を慈愛に満ちた歌で和らげ、犯人が逮捕されて一安心……ではけっして終わらない『火サス』独特の情感や残心を見事に描き切る力を持っていたテーマソングは、初代にして最長の使用期間を誇る「聖母たちのララバイ」こそが随一ではなかっただろうか。
岩崎宏美「聖母たちのララバイ」「家路」「橋」「夜のてのひら」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
不破了三(ふわ・りょうぞう):音楽ライター、CD企画・構成、音楽家インタビュー 、エレベーター奏法継承指弾きベーシスト。CD『水木一郎 レア・グルーヴ・トラックス』(日本コロムビア)選曲原案およびインタビューを担当。
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