2015年07月25日
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2015年07月25日
今年デビュー40周年を迎えた岩崎宏美の人気を決定づけた2ndシングル。
9月の文化祭で放送部が主催した校内リクエストで見事No.1に輝いたのを思い出す。女子生徒からの圧倒的な支持を集めたのと普段アイドルなど見向きもしないようなタイプの男子からの人気が高かったと記憶している。「ロマンス」というタイトルが醸し出す甘酸っぱいムードだけで、当時の同世代男女のイマジネーションを喚起するのに充分すぎるほどだった。
さて、このシングル当初は作曲の筒美京平がB面になった「私たち」を推挙し、作詞の阿久悠が「ロマンス」にこだわったため歌手本人に決定が委ねられ、岩崎が最終的に「ロマンス」を選択したという逸話が伝えられている。デビュー曲「二重唱(デュエット)」に始まる“カタカナ・タイトル”のシリーズが最初からの構想だったとすれば、阿久にしてみればこちらの方が絶対的な自信作だったということだろう。
「ロマンス」ではヴァン・マッコイの「ハッスル」を思わせるフレーズが登場するなど、台頭しつつあったディスコ・サウンドを意識した作風。メロディもアレンジもフック満載で構成も複雑な凝ったものになっている一方で、従来の歌謡曲的な曲調との折衷に腐心した形跡も見られる。筒美自身は「女声コーラスの(ちょっといなたい)感じが少し気恥ずかしい」と語っているが、このあたりに大ヒットの鍵があることなど百もご承知なのだろう。
これに対して「私たち」では曲構成はシンプルなものの、本格的なディスコ・サウンドに乗せて岩崎の伸びやかなヴォーカルが冴え渡るストレートなメロディを聴かせている。筒美がこっちを推した気持ちは充分すぎるほど理解できるが、岩崎がこれを選ばなかったのは“少し歌うのが辛い箇所があるから”だったという。もちろんここでの成果は次作「センチメンタル」以降の楽曲で存分に活かされている。ちなみに「ロマンス」は一連のシリーズの中で歌詞の中にカタカナのタイトルがそのまま出てくる唯一の作品でもある。もっとも「センチメンタル」や「ファンタジー」は内容とあまり関係のないイメージ先行のタイトルだし、以降は日本語が使われ少し後の「ドリーム」で“夢”が出てくるくらいである。
筒美京平が「ロマンス」に抵抗感を示したもうひとつの理由は“歌詞の内容が彼女には大人っぽすぎるのでは”という危惧だったとされるが、これも岩崎自身の“私が歌うんだからそんなに色っぽくなることはない”という意見で決着されたという。歌詞の行間が妙に艶かしいのはすでにデビュー曲でも見受けられ、これも“優等生イメージの彼女に敢えてぶつけた”阿久らしい戦略だったのだろう。ただしティーンエイジャーの心情を描くという点では、森昌子の“田舎の中学生”から“都会の高校生”へと状況設定を変えただけともいえる。スター誕生から登場した「花の中3トリオ」の一角が3年後には事実上の交替を見たのには、洋楽的なポップスの歌謡界における急速な浸透という以上の意味がありそうだ。桜田淳子が“夢と憧れ”を象徴し山口百恵が“セクシュアリティ”を担ったとするなら、森昌子が歌ったのは“家族や地域コミュニティとの絆”、つまり近代日本におけるロマンティック・ラヴ・イデオロギーの三大構成要素が出揃うのである。これに対して阿久が岩崎宏美に託したのは“個と個のパートナーシップ”と考えられ、社会の変化を敏感に嗅ぎ取るセンス(他の作品でも多々見られるが)は下手な社会学者や哲学者など足下にも及ばないほどだ。
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