2015年06月12日
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2015年06月12日
本日6月12日は、誰が決めたか「恋人の日」。タイトルに「恋人」を含む大ヒット曲というと、まず思い浮かぶのがベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」(69年)、そしてシモンズ「恋人もいないのに」だ。この2曲は、「異性の影を感じさせない純潔な女学生の嗜み」というイメージを女性フォークデュオに植え付けた感がある。それこそ「ギターこそが私の恋人よ」と主張しているような。前者は加藤和彦、後者は西岡たかしと、いずれも関西フォークの大御所の書き下ろしだし、彼らもそういうイメージを頭に描きつつこれらのメロディを作ったのではなかろうか。
特に「恋人もいないのに」。「リア充対非リア充」という構図が取り沙汰されがちな昨今、女の子の側から非リア充の哀愁を爽やかなハーモニーで歌われるのを聞くと、思わず甘酸っぱい空気に包まれてしまう。
この曲で71年8月デビューを飾り、推定60万枚という大ヒットを放ったシモンズは、大阪出身の田中ユミ、玉井タエからなるデュオ。両者とも当時18歳だった。シングル11枚とアルバム4枚をリリースした4年間の活動では、ブレイク前の谷村新司や元"愚"の瀬尾一三らによる書き下ろし曲、そして二人の自作曲を歌い、オリジナル指向にこだわりつつ、ニューミュージック引導を渡そうとするフォーク時代の終焉の中その活動を終えた。なお、彼女たちの真のデビュー曲には、皮肉にも加藤和彦・北山修の自唱によりヒットすることになる「あの素晴らしい愛をもう一度」が予定されていたという逸話もある。そして、忘れてはならない彼女たちの隠れ代表作、小林亜星作曲による「明治チェルシーの唄」。歴代CM使用ヴァージョンを集めあげたコンピまでリリースされたこの曲のオリジナル歌唱アーティストは、他でもないシモンズである。
さて、日本に於ける女性フォークデュオの発祥は、一体いつだろう。ベッツィ&クリスの大ヒットで、各レコード会社は後続アクト探しに必死になり始めるが、実はB&Cに先駆けること2ヶ月、69年8月に東芝エキスプレスから「はだしの少年」でデビューしたティンカーズ、さらに3ヶ月前にキングから「赤ちゃんぐつ」でデビューしたオッコ&ミミという「先走者」がいた。前者に在籍した清水芙美子は、後にファンハウス〜ドリーミュージックを立ち上げる新田和長(当時ザ・リガニーズ)の奥さんとなる人物である。
B&Cのブレイクに続けと、クラウンからレ・シャットウ・ドゥ・マルディ、フィリップスからインデアン・アップル、ポリドールからピオニーズ、キャニオンからかげろう、そしてRCAからシモンズと、次々とデビュー。テイチクが放ったピンク・ピクルスは、闇に散ったマラソンランナー、円谷幸吉の悲劇を歌った「一人の道」を大ヒットさせる。ソロで活動していた水沢有美は、73年に乙女座を組みデュオ界に参戦。両方もしくはどちらかがギターという定形を破り、フルートとピアノという編成で登場したのがドド。フォークブームの権化と言えるヤマハのポプコンからも、ウィッシュ、赤ずきん、麻里絵など女性デュオが多数デビューしている。
シモンズが解散した74年を過ぎても、「嵯峨野さやさや」でお馴染みたんぽぽ、後にソロで大ブレイクする水越けいこを生んだ姫だるまなど、新人のデビューは相次いだが、76年に登場したピンク・レディーが、女性デュオの立ち位置を「純潔」から「挑発」へと転換してしまう。彼女たちも元々フォークを好んで歌っていた、という事実は皮肉なものである…そして、玉井タエを夫人の座に迎えた後藤次利は、例の「駆け落ち」(前々回参照)で一躍お茶の間に名を轟かせることになるのだ。
「恋人もいないのに」シモンズ写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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