2017年04月05日
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2017年04月05日
1971年(昭和46年)の本日4月5日は、加藤和彦・北山修のシングル「あの素晴しい愛をもう一度」がリリースされた日である(歌手名・曲名表記はオリジナルレコードのものに依る)。
このレコードは物心ついた頃から筆者のレコード棚にあったが、エキスプレス・レーベルからの再発盤だったので(オリジナルはキャピトル)、発売間もなく手に入れたわけではなさそうだ。ただ、一つ鮮烈に覚えているのは、中二の時合唱コンクールで我がクラスが歌ったことだ。実は最近の筆者は学校の合唱コンクールなどを記録した自主制作盤を聴くのを密かな楽しみにしているのだが、そういう盤でよく取り上げられる「木琴」や「消えた八月」などの反戦歌を歌うほどのスキルと勇気を持ち合わせてなかった生徒たちにとって、「あの素晴しい愛をもう一度」は格好の一曲とされていた感がある。それに際してクラスのみんなが個別に練習できるようにと、自前のカセットテレコを音楽室に運び込んで、クラスのマドンナのピアノ演奏を録音し、LL教室(懐かしい!)でそれぞれのカセットにダビングさせたという甘酸っぱい想い出までが蘇ってきた。こんなチャンスでも来ない限り、女子と親密にできなかったもんです(汗)。オリジナル盤がヒットしてから、ほんの7、8年しか経ってない頃の話。
フォークルという、日本の音楽界を物凄い勢いで塗り替えた「現象」が解散してからの2年間、加藤和彦は様々な方法論でより斬新な表現への道を切り開きながら、時折メインストリームの方向に目配りすることも忘れなかった。ベッツィ&クリスの70年の大ヒット曲「白い色は恋人の色」は、そんな「表・加藤」の初期の代表作だが、その路線は翌年デビューしたシモンズにも受け継がれるはずだった。結局西岡たかしによる「恋人もいないのに」がそのデビュー曲となったが、実はこの「あの素晴しい愛をもう一度」が本来はシモンズのために用意された曲というのは有名な話。諸事情あって、加藤・北山コンビ名義でのリリースとなったわけだが、フォークル再びという世間の期待に刃向かうように、ジャケットの二人はカメラから視線を遠ざけている。やはり、いくら爽やかな愛を歌おうが、二人の中庸に対する態度は半端なく醒めている。それでも、名曲は名曲。オリコンでは10位にまで食い込んでいる。それにしても、イントロから終始鳴り止まないギターは相当のテクとセンスがないと弾けない。さすが職人だ。ちなみにクラスのマドンナのピアノ演奏には8分音符より短い音はなかった(笑)。
シモンズに与えられかけた曲という話は抜きにしても、「私」も「僕」も「君」も「あなた」も登場しない歌詞は、性別・世代問わずあらゆる人種が対応可能な、ユニバーサルな愛を探求する歌という色を醸し出しているが(だからこそ、合唱コンクールで好まれるのだ)、当時から最近に至るまで、この曲はなぜか女性歌手に好んでカバーされるという傾向が強い。シングル発売されたもので印象深いのは、98年にあの「シン・ゴジラ」の監督・庵野秀明が初めて手がけた実写映画「ラブ&ポップ」の主題歌として、主役を演じた三輪明日美が歌ったヴァージョン。当時のアイドルらしい無味乾燥な歌唱が、この曲の真意をおびき出しているような貴重な作品だ。ちなみにこの映画で三輪が演じた吉井裕美の母親役を演じていたのが、他ならぬ岡田奈々である。
他にもチューインガム、dicot、アルバム『FOLK SONGS 3』で取り上げたハロプロユニットなど、女性複数のグループ歌唱によるカバーに、この曲の隠れた本質を見出せるような気がしてならない。
でもやっぱり、真の解釈は作者自身によるものなのは確か。あの時、二人が残した歌は今はもう戻らない…加藤さんのご冥福を改めてお祈りします。
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月24日、初監修・選曲によるコンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』(3タイトル)が発売予定。
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