2016年04月16日
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2016年04月16日
河島英五が亡くなって、もう15年の月日が経とうとしてる。まだ肌寒い日で、<巨星墜つ>の言葉が身に染みて感じられる日であったことを、今もしっかりと覚えている。
その命日の少し前の4月13日に、アルバム『セルフ・アンド・カバー2016〜生きてりゃいいさ〜』がソニー・ミュージックダイレクトからリリースされている。加藤登紀子に書き下ろした「生きてりゃいいさ」を中心に、「酒と泪と男と女」「時代おくれ」といった名曲の収められていた『セルフ・アンド・カバー』を再編集したものだ。今回新たに加わったディスク2には、次女でアナム&マキとしても活動していた亜奈睦(あなむ)が、「旅的途上」「流れる雲」など、父親の曲ばかりをカヴァーした10曲が収録されている。単に曲をカヴァーするだけでなく、「生きてりゃいいさ」は、父親であった河島英五のヴォーカル・トラックを使ったヴァーチャル・デュエットに仕上がっている。
この「生きてりゃいいさ」には深い因縁がある。
78年の暮れに、河島はコンサートを終え新幹線で帰宅したのだが、乗車前に二人目の子供である亜奈睦さんが授かったとの知らせを聞いたのだ。彼はその場で喜びと感動を歌にした。それがこの「生きてりゃいいさ」であったのだ。この曲には、新しく生命を得た子供への想いが込められているのだ。そう思って聞くと、冒頭の「君が悲しみに心を閉ざしたとき/思い出してほしい歌がある」のフレーズも、また違った意味合いが伝わってくる。
この因縁の曲を歌う娘の亜奈睦には、どんな想いが去来したのだろうか。言葉の意味を噛みしめながら歌う内に、この曲こそ歌い継ぐべき歌だと思ったのではないだろうか。
河島英五の歌の素晴らしさは、歌い継がれていくところにある。萩原健一をはじめとして数多くのカヴァーを生み落とした「酒と泪と男と女」を筆頭に、「てんびんばかり」も「泣きぬれてひとり旅」も、「あまぐも」や「いくつかの場面」も、ジャンルや世代を超えて歌い継がれている。
歌で色々なことを教えてくれたのが父親・河島英五であったはずだ。1曲歌う度に、その思いは強くなっていったことだろう。4月16日の命日には、河島英五、河島亜奈睦の親子の歌声を聞きながら、色々なことを教えてくれた彼のことを偲ぼうかと思っている。
『セルフ・アンド・カバー2016~生きてりゃいいさ~』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
河島英五・河島亜奈睦『セルフ・アンド・カバー2016~生きてりゃいいさ~』スペシャルサイトはこちら>
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