2018年07月03日
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2018年07月03日
1978年7月3日、サーカスの「Mr.サマータイム」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。サーカスにとっては2枚目のシングルで、翌年の「アメリカン・フィーリング」と並び、彼らの代表作として今も親しまれている。
サーカスは男女混声によるコーラス・グループで、このときのメンバーは叶正子、卯月節子の女性2人と、正子の弟である高、央介の男女2人ずつの4人組である。前年、徳間DANレーベルから南佳孝作詞・作曲・編曲の「月夜の晩には/二人の帰り道」でレコード・デビューをした際のメンバーは、女性2人は変わらないものの、男性はすが健と茂村泰彦による4人組であった。男性2名はバンド志向であったためすぐに脱退、急遽、正子の兄弟を呼び寄せてあらたに結成されることになった。正子と節子は従姉妹にあたり、ここで初めてメンバー全員が血縁者というユニークなコーラス・グループが誕生したのである。ちなみに茂村泰彦は「ミスティー・ブロック」というグループを組み、その後ソロ活動の傍ら、幾多のアーティストのサポート・メンバーとしても活躍している。
長女の叶正子は、サーカス結成前、72年にヤマハのオーディションに合格し、ヤマハの研修生となり、その後「ピーマン」という女性3人組のグループを結成、74年にワーナーから「恋のライバル3対1」でデビュー。アイドルとアーティストの中間のような存在で活動していたが、シングル3作を残して解散。ちなみに3作目の「部屋を出てください」は、その後、ピンク・レディーが『スター誕生!』のオーディションで歌ったことで知られるようになった。ピンク・レディーの2人もアマチュア時代にヤマハのボーカルスクールに通っていたことがあり、その縁でこの楽曲を知ったのであろう。
サーカスは、それ以前に活躍していた男女混声コーラス・グループのハイ・ファイ・セットとよく比較される。ハイ・ファイ・セットは赤い鳥から分裂して誕生した女性1人、男性2人のコーラス・グループで荒井由実が楽曲提供した「卒業写真」で75年にデビュー、77年にはモーリス・アルバートの日本語カヴァー「フィーリング」を大ヒットさせた。2グループはともに村井邦彦率いるアルファ・レコードの所属だが、都会的でファッショナブル、ハイブロウなコーラス・ワークを聴かせるハイ・ファイ・セットに比べ、ややムーディでかつシティ・ポップ的な要素も強いサーカスと、その音楽的な色は異なっていた。クールで透明感のある山本潤子のヴォーカルを前面に立てたハイ・ファイ・セットに比して、サーカスは女性2人の艶っぽい声と、血縁者ならではの息のあったハーモニーが個性。だが、サーカスも「月夜の晩には」でのデビューの際には、「日本のママス&パパス」的な売り文句で登場したのであるから、メンバー・チェンジと「Mr.サマータイム」の大ヒットにより、ハイ・ファイ・セットとの個性の差別化が明確になったといえるだろう。
「Mr.サマータイム」はフランスのシンガー・ソングライターのミッシェル・フュガンが作曲した「愛の歴史」の日本語カヴァーで、竜真知子が不倫によって真実の愛を失った女性の心情を歌った日本語詞を乗せ、前田憲男のエレガントなアレンジによって、ショービズ的な華やかさをもつ楽曲に仕上がった。女性ヴォーカル2人、ことに正子の低めのセクシーな声によく合った楽曲で、カネボウ化粧品の同年夏のキャンペーン・ソングに起用されたこともヒットの要因。テレビ番組やステージでは、印象的なイントロに合わせメンバー全員が両手を挙げるポーズも記憶に残る。こういったアダルトなムーディ推しが彼らの個性であり、それはファーストアルバム『サーカス1』には、「夢で逢えたら」などに混じって、ライト・ファンクにアレンジされた辺見マリの「経験」が収録されていることからもわかる。
続くシングル「愛で殺したい」もまたミッシェル・フュガンのカヴァーだが、これは75年にしばたはつみが「私の彼」として先にカヴァーしている。「私の彼」は当時のディスコで珍しく人気のあった日本語詞の楽曲で、サーカスのヴァージョンもノリのいいサンバ調のアレンジが施されている。
84年に節子が結婚により脱退、央介がソロ活動に入り、オーディションで選ばれた原順子と嶋田徹が加入。さらに88年には嶋田が抜け、央介が復帰。央介と順子が結婚したため、再びファミリー・グループとなった。そして現在のサーカスは正子、高の不動の2名に加え高の長女・ありさと、吉村勇一を加えての4人組として、結成から40年余を経て、今も美しいハーモニーを聴かせ活躍中である。
サーカス「Mr.サマータイム」『サーカス1』「愛で殺したい」 写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。
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