2016年04月15日
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2016年04月15日
1964年、数度に亘るメンバー・チェンジの末、田辺昭知をリーダーに、井上孝之(現・尭之)、堺正章、大野克夫、加藤充、かまやつひろし、井上順というラインアップになったザ・スパイダースは、当時かまやつが入手した米国盤LP『Meet The Beatles』を手本にバンドの音楽スタイルからヴィジュアルまで全てを一新。ビートルズに代表される英国のビート・グループ(日本ではリヴァプール・サウンドと呼ばれた)の影響下にある日本のバンドとしては、64年4月に「抱きしめたい」の日本語カヴァー盤でデビューした東京ビートルズと並ぶ先駆的存在であった。
翌65年5月10日にクラウンより「フリフリ」(かまやつひろし作詞・作曲)でレコード・デビューを飾り、その年の暮には日本ビクターの洋楽部門だったフィリップスと契約。66年2月1日に移籍第一弾シングルとしてリリースした田辺・作詞、かまやつ作曲による「ノー・ノー・ボーイ」は、そのひと月後にリリースされるジャッキー吉川とブルー・コメッツの「青い瞳」と共に「グループ・サウンズ時代」の到来を告げる“序曲”となった。今年(2016年)がGS50周年と呼ばれる所以である。
こうして「フリフリ」「ノー・ノー・ボーイ」と、ビートルズから学んだ自作自演ポリシーを貫くオリジナル楽曲を発表してきたスパイダースが、その集大成とも言うべき作品として、今からちょうど50年前の今日1966年4月15日にリリースしたのが『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』。タイトルどおり彼らの記念すべき1stアルバムである。
収録曲全12曲中、シングル「フリフリ」のB面曲で、阿久悠の作詞家デビュー作となった「モンキー・ダンス」(作曲・脇野光司)のリメイク「ミスター・モンキー」と、別名「アルビノーニのアダージョ」として知られるレモ・ジャゾット作曲の「アダージョ・ト短調」にかまやつが歌詞を付けた「しずかに」を除く10曲が、メンバーのかまやつ、もしくは大野克夫が作曲を手がけたオリジナル。
作詞陣にもベテラン職業作詞家は起用せず、前出の「ミスター・モンキー」と「ロビー・ロビー」を書いた阿久悠や、本アルバム提供作品(「ヘイ・ボーイ」「ラッキー・レイン」)で作詞家デビューを飾り、後にスパイダースの「サマー・ガール」「いつまでもどこまでも」、バニーズ「太陽の花」、ブルー・コメッツ「甘いお話」等を手がけるささきひろとなどフリーの新人、もしくは「ビター・フォー・マイ・テイスト」「ゴー・ゴー」の2曲に英語詞を提供した洋画の配給・翻訳家・川喜多和子(東和映画創業者の実娘)や、同じく英語詞を「ワンス・アゲイン」「落ちる涙(Teardrops)」に提供したレストラン『キャンティ』の女主人として知られる川添梶子(旧姓の岩本をペンネームに用いた)のような異業種人であった。
これは、洋楽部門であるフィリップスの国内制作作品にビクターの専属作家は起用することができないという専属作家制度の壁を打破するための苦肉の策でもあったのだが、アルバムといえばシングル曲の寄せ集めにカヴァー曲を加えてお茶を濁したような類がほとんどだった当時の日本のポピュラー音楽シーンにおいて、歴史的転換期を招く大きな“事件”でもあった。まさに革命的作品と言っても過言ではないだろう。
まだ外国が遠い存在で正確な情報を得るのも困難だった時代、リヴァプール・サウンドに対抗し、海外進出をも視野に入れて名付けられた「トーキョー・サウンド」のキャッチフレーズの下、暗中模索の中で制作された意欲作『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』。本作こそが『エイプリル・フール』や『はっぴいえんど(ゆでめん)』『ジャックスの世界』等よりも数年早く誕生した、紛うことなき国産オリジナル・ロック・アルバム第一号作品なのである。
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