2016年06月18日
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2016年06月18日
漣健児(さざなみけんじ)という名前を聞いてピンと来ない方も多いかもしれないが、坂本九「ステキなタイミング」飯田久彦「ルイジアナ・ママ」弘田三枝子「ヴァケーション」「中尾ミエ「可愛いベイビー」等の歌詞を手がけた訳詞家と聞けばイメージが沸きやすいかもしれない。400を超える作品を世に出した、60年代を代表する名訳詞家である。ザ・カーナビーツの「オブラディ・オブラダ」のように、訳詞というよりは超訳と表現されるものも多い。
そんな漣健児ワールドに影響を受けて命名したのが、私が運営するインディーズレーベル「サザナミレーベル」である。2003年にスタートし、来月で丸13年になる。
私は1975年生まれなので漣健児リアルタイム世代ではない。もちろん有名どころの楽曲は知ってはいたが、当時あまりヒットしなかった楽曲も含めて漣健児作品をまとめて聴くきっかけになったのは、ウルトラ・ヴァイヴ社の高護氏が1998年に企画監修した「漣健児のワンダーランド」シリーズである。メジャー各社から同タイトルでリリースされた前代未聞のコンピ盤で、私を含めた当時の若いリスナーに衝撃を与えた(このコンピシリーズと、その直後に同じくウルトラ・ヴァイヴ社から出た「CULT GS BOX」の衝撃は人生を変えた!)。高護氏が漣健児チルドレンだとしたら、私は漣健児グランドチルドレンと言えるかもしれない。
2000年初頭に私が自身のバンド「ゴーグルエース」で麻生京子の「ハンガリア・ロック」(漣健児ナンバーの最高峰!)をカバーしていた関係で、漣健児本人にメールを送ってみたことがある。すると何とライヴを見に来てくれたのだ!しかも下北沢シェルターに!そして凄く喜んでくださった。これまた有名な話であるが、漣健児の本名は草野昌一と言い、音楽ビジネス界の超ビッグネームである。どのくらいビッグかというと、ホワイトハウスに招待されるレベルなのだ(日本の音楽関係者では歴代唯一)。シェルターに遊びに来ていただいた当時、すでに藍綬褒章(1999年)も受けているシンコーミュージックの会長である。私を含めたバンドメンバーは若かったこともあり純粋に喜んでいたが、当時の事務所のマネージャーや部長は完全に恐縮していたのを覚えている。
その後しばらくして自主レーベルを立ち上げることになり、「サザナミレーベル」と命名したいとシンコーミュージックに挨拶に行った。漣健児こと草野昌一ことセンム(*1)はとても喜んでくださり、たしかクア・アイナのハンバーガーをご馳走になった記憶がある。そしてレーベル設立のお祝いも兼ねて配信関連の原盤制作の仕事も振っていただいた(漣健児ナンバーをカバーしまくるという夢のような仕事だった)。
その後も交流は続いたが、残念ながらセンムは2005年6月6日に逝去された。前述の漣健児カバーの仕事に新録を加えたものを「ビックリ ギョーテン ウチョーテン~KENJI SAZANAMI TRIBUTE~」(サザナミレーベル)として2005年にリリースしたほか、2009年には「漣流」(CDジャーナル)というムック本をプロデュースさせていただいた。
最近のサザナミレーベル作品をいくつか紹介させていただく予定で原稿執筆を受けたのだが、センムの話だけですでに文字数を大幅に超えてしまった。漣健児のユーモアセンスだけでなく、センムの革新性も受け継いで行きたいと思っているサザナミレーベルのサイトはこちら(ビジネスセンスは全く受け継げなかった模様)。
*1:シンコーミュージックの社長会長に就任後も終生「センム」の愛称で通した。
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