2017年09月15日
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2017年09月15日
今からちょうど50年前の今日1967年9月15日は、ザ・カーナビーツの「恋をしようよジェニー」がリリースされた日。同年6月1日に「好きさ好きさ好きさ」でデビューした彼らにとって2枚目のシングル曲だが、デビュー・シングルはゾンビーズ「I Love You」と、“口笛ジャック”ことビリー・モーラーの「口笛天国」の日本語カヴァー・カップリング、8月1日にリリースしたザ・ジャガーズとの競演アルバム『ジャガーズ対カーナビーツ』も、臼井啓吉(作詞)&越川ひろし(作曲)によるオリジナル「夕陽が沈む町」以外は全曲洋楽カヴァーで、書き下ろし新曲がシングルとなったはこれが初めてだった。
作者は万里村ゆき子(作詞)と藤まさはる(作曲)。万里村は「何処へ」(66年)、「マリアに泉」(67年6月)、「白い恋人」(67年6月)など、ブルー・コメッツへの作品提供で知られる作詞家で、のちに岩崎宏美がカヴァーしてヒットした「すみれ色の涙」(68年1月「こころの虹」B面)も彼女の作品である。
一方の“藤まさはる”という、あまり聞き慣れない名前の作曲家だが、これはある人物のペンネームで、その正体はカーナビーツをはじめ、スパイダース、サベージ、ジャガーズ、テンプターズ、パープル・シャドウズ、リンド&リンダース、ヤンガーズなど、フィリップス・レーベル所属GSのほとんどのレコード制作を手がけた本城和治プロデューサーだったのである。
何故プロデューサー自ら作曲を手がけたのか? 答えは単純明快。カーナビーツにふさわしい曲を書ける職業作曲家がいなかった(思い当たらなかった)のだ。本城氏は述懐する。
<「好きさ好きさ好きさ」でデビューしたバンドの次のシングルと考えた時、どうしても日本人の作家で書けそうな人は思い浮かばなかったけど、自分の中では漠然とコード進行とかアイディアがあったんです。それで自分で作曲しちゃった(笑)。元々、他の人が書いた歌詞があったけど、ちょっと曲のイメージと合わないので、急遽、万里村さんにお願いしました>
アレンジを手がけたのはリーダーの越川ひろし。彼はイントロがやや歌謡曲臭くならないか危惧していたが、本城のアイディアでアイ高野の「ジェニー!」という絶叫を冒頭に入れることで、すべて解決したと言う。たしかに、この「ジェニー!」一発で、「好きさ好きさ好きさ」における「おまえのすべて~!」に勝るとも劣らないインパクトを聴く者に与えている。
そんな楽曲構成上の仕掛けが功を奏してか、本城プロデューサーの作曲家デビュー作となった「恋をしようよジェニー」は、20万枚を超えるセールスを記録。オリコン最高位32位まで上るヒットとなった。現在でもカーナビーツの代表曲というだけでなく、GSを語る上では欠かせない名曲のひとつとして広く認知されている。
以後、本城は69年3月10日にリリースされたカーナビーツの9thシングル「オブラディ・オブラダ」のB面曲「お願いだから」(作詞・阿久悠)の他、「乗輪寺モトオ」のペンネームで、ゲイリー・ウォーカーとカーナビーツの共演シングル曲「恋の朝焼け」(作詞・スコット・ウォーカー)を作曲。同名義ではデ・スーナーズのデビュー曲で、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズのカヴァー「ミッキーズ・モンキー」の日本語詞も手がけている。
そんな作家としての仕事を高く評価していたのがアイ高野で、生前彼は自分の尊敬する作曲家として、ジョン・レノン&ポール・マッカートニー、そして藤まさはるの名を挙げていた。
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
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