2015年06月01日

ザ・カーナビーツのデビュー曲「好きさ好きさ好きさ」秘話

執筆者:中村俊夫

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1967年春、名門バンド「フリーランサーズ」のメンバーだった越川ひろし(リード・ギター)とアイ高野(ドラムス、ヴォーカル)は、元スウィング・ウエストの喜多村次郎(ギター)、元サウンズ・オブ・ウエストの岡忠夫(ベース)、白井啓吉(ヴォーカル)と共に新グループ「ロビンズ」を結成。横浜のジャズ喫茶『ピーナッツ』を拠点に活動を始めた彼らは、所属事務所『ロビン企画』社長の勧めでフィリップス・レコードのオーディションに挑む。


この時演奏したのがフリーランサーズ時代からレパートリーにしていたザ・ゾンビーズの「I Love You」で、オーディションに立ち会っていたフィリップスのプロデューサー本城和治と、フィリップス・レーベル国内制作作品の原盤制作会社でもあったシンコー・ミュージックの代表・草野昌一が気に入り、「漣健児」のペンネームで洋楽ポップスの訳詞家として数多くのヒットを放っている草野が「I Love You」に日本語詞を付けて、彼らのデビュー曲とすることが決定した。 


デビューにあたってロビンズというグループ名はインパクトに欠けるという理由で改名することとなり、シンコー・ミュージックから出版されていた音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の編集長・星加ルミ子が、当時最先端のトレンド発信地だったロンドンのカーナビー・ストリートから「カーナビーツ」と命名。草野氏の証言によれば「まず最初にタイトルが浮かんだ」という日本語カヴァー「好きさ好きさ好きさ」は、ザ・カーナビーツのデビュー曲として今から48年前の今日1967年6月1日にリリースされたのである。


「好きさ好きさ好きさ」は、原曲を凌駕するパンチの効いたアレンジと、アイ高野の「おまえのすべて~♪」とスティックを客席に向かって突き出すアクションがお茶の間でも注目され大ヒット。前年から続くスパイダース、ブルー・コメッツ、ワイルド・ワンズ、サベージ、タイガース等の活躍で音楽シーンの最新トレンドとなった和製ビート・グループ(やがて「グループ・サウンズ」と命名される)の大ブレイクに大きく貢献した。

原曲の「I Love You」は元々ゾンビーズが1965年8月にリリースした6枚目のシングル「お好きな時に(Whenever You’re Ready)」のB面曲で、同年11月にはキングレコードより日本盤シングルがリリースされている(写真中央)。英国盤と同じカップリングで、まだカーナビーツのデビュー前のため、タイトルも「アイ・ラヴ・ユー」とカタカナ表記のままである。

B面曲ゆえに本国同様に何ら注目もされず不発のままに終わるかと思われていた矢先にカーナビーツ盤がヒット。これに便乗しないテは無いとキングレコードは、さっそくAB面を逆にして「好きさ好きさ好きさ」の邦題を付けた再発盤(写真右)を67年秋にリリースしている。しかも、カーナビーツ盤のジャケットに書かれていた「カーナビー・ビート・サウンド」というキャッチコピーをちゃっかりいただいて…(笑)。  

GSブームが完全に終焉した70年代以降も「好きさ好きさ好きさ」は、多くの人の脳裏に刻まれる想い出のメロディーとして生き続け、カラオケの定番曲にもなっていった。まさにオリジナルを超えたカヴァー・ヒットの典型である。その事実に驚いたのは、他ならぬゾンビーズのメンバーで「I Love You」の作者でもあるクリス・ホワイトだった。イギリス本国では不発に終わり人々の記憶にすら残っていないこの曲が、何故70年代以降もずうっと極東の島国から定期的に印税が振り込まれてくるのか?彼は不思議でしょうがなかったらしい。


1980年代に仕事で来日したクリスは、「I Love You」の日本での出版を管理しているシンコー・ミュージックに表敬訪問。その際に、この長年の疑問を尋ねてみたところ、初めて日本語カヴァー盤が作られヒットした一部始終を知り、自分の作った曲が今でも多くの日本人たちに親しまれていることに驚き感激したそうな。

ザ・カーナビーツ

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