2018年09月18日
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2018年09月18日
47年前の今日、1971年(昭和46年)9月18日、その後の食文化を変えた画期的な新商品「カップヌードル」が、日清食品株式会社により発売開始された。
唐突に書き始めたが、ここは「大人のMusic Calendar」だ。カップヌードルと音楽との関連性、果たして語れるのか。商品の新発売当時、ひっきりなしに流されていたCMソング「ハッピーじゃないか」(作曲: 小林亜星、歌: 笠井紀美子)から、85年にCMソングに起用されたハウンド・ドッグ「フォルティシモ」(オリコン最高位11位)までの約10数年の間、「カップヌードルCMソング」に対する記憶がまるっきり抜け落ちている。
そこでだ。1970年代前半に飛躍的進歩を遂げたインスタント食品文化と、日清がどのような貢献をそこに果たしたか、そして音楽がどのような関わりを見せたかを考察してみれば、ある数値を軸とする興味深い繋がりが見えてくる。今回は徒然なるままに、そんな繋がりに関して書いてみたいと思う(蛇足だが、現在筆者の日々の肥やしは、食品流通と密接な関係のある場所で育まれています)。
2008年にはエルヴィス・コステロがその名前を冠したアルバムをリリースするに至るほど、食文化への影響力は世界的スケールに及んでいた日清の創業者・安藤百福氏が、史上初の袋入りインスタントラーメン「チキンラーメン」を開発・発売したのは、58年8月のこと。こちらの60周年も先頃、大いに市場を盛り上げた。CMソングとして不朽のスタンダードと化した「すぐおいしい、すごくおいしい」が生まれたのは、発売から26年を経た84年のことだ。作曲者・鈴木さえ子は、あのキャッチーな曲の隠し味として一拍毎にコードを変えるなど凝った小技を潜ませたことを、60周年記念ツイートとして明らかにし、ちょっとした話題になった。
チキンラーメン発売から13年後、容器に入った麺にお湯を注いで3分待つだけでできる画期的な食品として、「カップヌードル」が遂に完成する。そのコンセプトの一部は、百福氏が66年にマーケティング視察のため訪れた米国から帰国する際、乗った飛行機の機内で思いついたという。なんと、ポール・マッカートニーが『サージェント・ペパーズ』のアイディアを思いついた場所&時期と、奇妙なまでに符合するではないか。
71年、紆余曲折の末発売された当初は、前述したCMの効果もなかなか功を奏さず、インスタントヒットとならなかったが、翌年あの「あさま山荘事件」の際、張り込んでいた機動隊員が食べている風景が報道され反響を呼び、たちまち注文が殺到。その爆発的人気拡大の背景に、「3分」という数字をこの時代の鍵とする様々な事実が浮かび上がってくる。まずは「公衆電話」だ。
お恵ちゃんこと松山恵子の大ヒット曲「お別れ公衆電話」が生まれたのは、59年11月のことだが、その頃から飛躍的に伸び始めた公衆電話の設置台数は、68年に初めて市外通話を可能にした「青電話」が登場したことでよりエスカレート。特に70年の万国博覧会開催に際して、10円入れれば3分だけでもコミュニケーションがとれる赤電話の重要性は大いに注目された。この70年、ミノルフォンから津山洋子「3分だけ愛して」、浜恵子「恵子の電話」が相次いでリリースされ、コロムビアからも北条みき「恋の3分電話」が登場した事実は興味深い。いずれもヒットはしなかったが…。浜恵子が電話をかける現場は、当時の革新運動の象徴・新宿西口広場である。一方「恋の3分電話」は、イントロに効果音が入り、曲が始まって丁度3分経ったところでカットアウトするという構成が心憎い、B面ならではの実験性に富んだ一曲だ。
さらに3分といえば、「ウルトラマン」だ。70年代初頭には専ら再放送で親しまれていた「初代マン」だが(71年から72年にかけては「帰ってきたウルトラマン」が放映)、戦闘開始して3分経過を知らせる為にカラータイマーが点滅し、M78星雲に帰らなければならないという設定は、心なしかインスタント食品の浸透にシンクロしたような気がする。実際、80年代には他社のカップ麺のCMにウルトラマンが登場したことも。
そして、3分という時間経過をよりポピュラーなものとしたのは、73年放映開始された大塚食品「ボンカレー」のCMである。当時の人気ドラマ「子連れ狼」をモチーフに語られる、「3分間待つのだぞ」「じっと我慢の子であった」のフレーズが流行語となったが、この言葉も即席ラーメンの普及とシンクロして覚えている方が意外に多いのではないだろうか。
さて、音楽の話に戻ろう。80年代、「フォルティシモ」のヒットをきっかけに、「カップヌードル」のCMも音楽業界とのタイアップを重要視する傾向に入っている。中でも印象深いのは、アーノルド・シュワルツェネッガーを起用した映像とふわふわした音楽が、不思議なアンバランス感を醸し出していた遊佐未森「地図をください」(89年)の使用だ。そして92年には、シュワちゃんも怯む超大物、ゴッドファーザー・オブ・ソウル=ジェームズ・ブラウンを、新商品「カップヌードルMISO」のCMキャラクターとして大胆に起用。「MISOッパ!」のシャウトが記憶に強烈に残る人も多いはずだ。
ついでに他の日清の長寿ヒット商品の「音楽」にも目を向けてみよう。68年に発売開始された即席麺「出前一丁」のサウンドロゴは、言うまでもない浪速のモーツァルト、キダ・タローの作曲だ。80年には大瀧詠一による新たなCMソングが作られているが、律儀に初代のサウンドロゴを生かしており、さすがナイアガラのリスペクト精神と唸らされた。もっとも、大瀧によるカップ焼きそば「U.F.O.」のCMソングは無念にも未使用に終わっている。「U.F.O.」発売初期にCMタレントに起用され、商品の知名度増大に大きな貢献を果たしたピンク・レディーの同名曲も、実はCMタイアップ曲ではない(似せた曲が作られ、PLによってCM内で歌唱されているが)。
そして日清と音楽の関係といえば、88年本社ビル(新宿区)の地下にオープンさせたライヴハウス、日清パワーステーションも忘れられない。筆者も前述した遊佐未森を始め、何度かここでのライヴに足を運んでいるが、惜しまれつつ98年に幕を閉じた。
最後にもう一曲。日本の渋谷系一派と相思相愛のような関係にあるスウェーデンのバンド、パインフォレスト・クランチには、その名も「カップ・ヌードル・ソング」という曲がある(96年)。歌詞などは全く商品と関係ないが、隠れたリスペクトとして言及しておきたい、爽やかな一曲だ。そういえば河村隆一プロデュースによる早川まみ「みんなでフーフー」(03年)なんてインスタントラーメンアンセムもあったが、3分を大幅に超えたようで…。
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