2015年06月27日

1952年の本日6月27日は、ダニエル・ビダル生誕の日

執筆者:丸芽志悟

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1952年の本日6月27日は、ダニエル・ビダル生誕の日。1969年8月、「天使のらくがき」を引っさげ日本デビューした彼女は、未だ当時の洋楽界に於いては主流のひとつだったフレンチ・ポップスの若手女性歌手の一人だった。彼女に先駆けた存在として、シェイラやマージョリー・ノエルらが既に人気を確立していたが、そのおしゃまさで日本に於ける人気がいきなり加速(同時期に大ブレイクした「リカちゃん人形」との相乗効果もあった?)。70年代中期になって花開く日本のアイドル歌謡の土台作りに大きく影響した一人となった。確かに、その舌ったらずな、かつ処女っぽさを伺わせる歌唱は、それまでの歌謡曲やポップスでは味わえなかったものだ(大先輩フランス・ギャルでさえ、そのカマトトっぽさはセルジュ親父のアイロニーに彩られたものだったし)。



同曲はオリコン12位という大ヒットとなり、早速続くシングル「カトリーヌ」との抱き合わせで日本語ヴァージョンが吹き込まれる(但し単なるファンサービスとしての色合いが強く、売上では原語版に遠く及ばなかった)。と同時に、商魂たくましいキング・レコードは、和製ビダルの名の下、全く同じカップリングのシングルで山中さち子をデビューさせるが、こちらはさらに惨敗に終わっている。まだまだアイドルポップ革命は先の話だった。


ところで、日本では彼女の代表曲のひとつとして親しまれている「オー・シャンゼリゼ」。ライヴハウスに女性シンガーのライヴを観に行くと、未だにこの曲がカバーされる光景に出くわすことも多く、スタンダード化しているが、この曲は元々英国のサイケポップバンド、ジェイソン・クレストが、"Down Waterloo Road"として68年発表したものが初出。当時のB級サイケバンドによくある、一般受けを狙ったノベルティソング的なものを当てがわれたわけだが、それでもヒットにはならなかった。果たして現在の彼らに「オリジナル歌唱者」の意地はあるのだろうか…(笑)
この曲にまず救いの手を差し伸べたのは、米国生まれのフランス人歌手、ジョー・ダッサンである。彼のローカライズ版"Les Champs-Elysees"は現地でシングルB面としてリリースされ大ヒットしたが、発足間もないCBSソニーが69年初頭にA面としてリリース、これが日本での初出にあたる。邦題は「シャンゼリゼー」とされたが、残念ながら当たらなかった。ちなみにのちに大ヒットしたミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」も、同じソニーからほぼ同時期に「可愛いシェリーのために」としてB面でリリースされたのが日本での初出。若いレコード会社故に正しい売り方を心得てなかったのだろう…


3度目の正直としてビダル版がシングルカットされたのが71年7月。オリコンチャートでは78位に終わったが、様々な日本人歌手が歌い継いでスタンダード化し、現在に至るというわけだ。村井邦彦や鈴木邦彦らの手による日本語オリジナルにも挑んだ彼女の最後の大ヒットは、73年リリースされた原点回帰的な一曲「私はシャンソン」。こちらにも葉山ユリによる日本語カバーがある。最後まで日本贔屓を通した彼女、後に元チャコとヘルスエンジェルの柴田功と結婚するも、現在は離婚。時折懐メロ番組で元気な姿を見せてくれている。

ダニエル・ビダル

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