2015年10月09日
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2015年10月09日
今日は、仲井戸“CHABO”麗市の65歳の誕生日。チャボさん、お誕生日おめでとうございます。
そしてデビュー45周年。このところ「精力的」に活動を繰り広げるチャボを、目に、耳にする機会がグッと増えたと感じているのは、私だけではないようだ。周囲からもチャボの話題がよく上がる。
9月6日に渋谷公会堂で行なわれた『MY NAME IS CHABO』は、なんと、古井戸からRC、麗蘭、ソロ、CHABO BANDと4時間近くに及ぶキャリア集大成のステージで、観客は言わずもがなの大歓声だった。そう、ちょうど先日も、ふとつけたラジオからチャボの声が聞こえた。残りわずかな時間帯だったけれど、レオン・ラッセルと、13年ぶりにリリースされたオリジナル・ソロ・アルバム『CHABO』を紹介していた。すでにCDで聴いていた音も、なぜか電波に乗っかって届くとまた違って聞こえる、不思議にいい感じだ。
今年の春、80年代後半にいっしょに働いていたRCのスタッフと久しぶりの立ち話をしていた時、「チャボさんが、あのチャボさんがテレビにMC(司会)で出ているんですよ、レギュラーで!」と、コーフン気味に彼が言った。私も驚いた。チャボはテレビが大の苦手だったからだ。苦手とするものには極力触れないのがチャボだと、私は思っていた。4月から9月まで放送された『ON THE ROCK ! 』というタイトルのこの番組は、案の定とても面白かった。ゲストとの音楽話は活き活きと弾んで、貴重な話を引き出すチャボの静かな優しさを端々に感じた。あんなにテレビ嫌いだったチャボがとっても自然な感じで画面の中にいた。どんな変化を経たのかは訊かずしては計り知れないけれど、時代は変わるものだなぁと頷いた。
ラジオ…と言えば、今から42年前(スゴい昔だ)の1973年9月、ラジオ関東(現ラジオ日本)の『古井戸のナイト・トゥギャザー』という深夜番組が始まった。喋りの上手な加奈崎芳太郎“カナやん”が番組をほぼ進行して、時々、チャボがたどたどしく受け答えをして、そのまるっきり精力的でないチャボは女子の好感度大だった。
当時、中学生だった私はその番組を聴きまくって、番組にあるコーナーを勝手に作って、私設ファンクラブの会長もどきでいい気になり、毎週せっせとハガキを送っていた。ハガキが読まれると張り切ってまた書く。そのうち深夜にスタジオから電話がかかってきたりして、『ナイト・トゥギャザー』は私にとって真夜中の一大事だった。
ある日、その番組で『皇居一周マラソン大会』というイベントが催された。躍起になって同級生の古井戸ファンの女子を何人かムリヤリ誘い、片道約2時間かけて参加した。
確か竹橋あたりに集合して、最初に体操をしてからマラソンがスタート。あまり記憶は定かでないが、カナやんが走ったことは覚えている。エレックレコードが主催だったのか、生田敬太郎も丸山圭子もいたように思う。しかしチャボがいない。フテくされ気味のチャボファンの尻を叩いてとにかく走リ出した。いつしかヘトヘトになった私たちは、ついに皇居一周散歩になってしまい、最後尾をタラタラとしていた。すると、後ろからスタッフの運転するカーテン付きの大型バンが近づいてきて、「時間内にゴールするのは無理だから、車に乗って下さいと」と言われ、ラッキーとばかりに私たちは乗り込んだのだ。す、すると、なんと車のずっと奥の後部にチャボが乗っているではないか。あまりのうれしさにどうしていいのかわからずに、下車するまで恥ずかしくてずっと下を向いていた。ははぁ~ん、やっぱりチャボはマラソンには参加せずに車の中にいたのか。閉会式なるものにチャボの姿はあったが、颯爽と皇居を走るチャボは想像だに出来ない。団体行動も苦手な様子。車の中が正解だったのだろうな。
そして今、新しいアルバム『CHABO』を聴く。ブックレットの最初のページに「今、現在におけるこれが、こんなところが、自分自身の姿、表情であろうかと……。」という一行があった。納得の言葉だなぁと感じる。
時にドキッとする言葉と、郷愁を漂わせながらチャボは日々を歌う。エネルギッシュにチャボは前へ前へと進む。
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