2016年12月11日
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2016年12月11日
1970年代は、「ニューミュージック」という、まさにそれまではなかった「新しい音楽」が生まれてくると同時に、音楽業界そのものにも大きな地殻変動が起こっていた時代です。少し大げさかもしれませんが、フォーク、ロック、ポップスなど、いまのJポップにつながる日本の音楽の流れが始まった時代でした。
著者の牧村憲一さんは、その時代を当事者として駆け抜け、また現在も「現役最高齢プロデューサー」として音楽制作の最前線で活躍し続けている、「日本ポップス史」の生き字引のような方です。大滝詠一さんや山下達郎さん、大貫妙子さん、加藤和彦さん、竹内まりやさん、そして細野晴臣さん……、本書には、牧村さんがご自身の目で見てきたアーティストたちの姿が活き活きと描かれています。
若かった彼らがどのように出会い、何を大切にし、どのように音楽を生み出してきたのか。また、そうした音楽をどのようにプロデュースしたのか。アーティストの側から書かれた本はたくさんありますが、裏方とも言えるプロデューサーの側から描き出されることで、本当のクリエイティビティは地道な試行錯誤からしか生まれないこと、そしてだからこそ、そうして生まれたものは時代を経ても古びないということが、よく伝わるようになったかと思います。
例えば、なぜ大滝さんと山下さんが出会ったのか、あるいは、坂本龍一さんと忌野清志郎さんの画期的なコラボ曲「い・け・な・いルージュマジック」はいかに生まれたかなど、編集担当としては「あの時代の音楽」のコアなファンだけでなく、普遍的な文化史として、さまざまな世代の方に読んでいただきたいと考えています。ぜひその頃の音楽を聴きながら、「あーだこーだ」と盛り上がっていただければ幸いです。
NHK出版 山北健司
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