2017年03月28日
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2017年03月28日
何でも3月28日は「三ツ矢サイダーの日」であるらしい。「三ツ矢サイダー」の音楽といえば、そこは大滝詠一、ということになる。
1973年9月21日、はっぴいえんど解散コンサートの日、ひときわ沸いたのは大瀧詠一の「三ツ矢サイダー」(映像&実演)であった。それはその日自分が持参録音したカセットを確認するとわかる。
この日がはっぴいえんどいうより、4人のメンバーの新プロジェクトのお披露目ライブであることはキャラメル・ママをはじめとする出演者の構成からファンは了承済みだった。注目だったのは「風街ろまん」の「街」というキーワードが「CITY」に変わっていたこと。キャロル・キングが組んでいたバンド名。「風街ろまん」で、はっぴいえんどが足場をおいた爛熟した米西海岸シンガーソングライターブームという流れから、「シティ」という言葉の登場への期待は大きかった。73年は、AORはもとより「シティ・サウンド」いう概念もなかったのだ。
最初に登場した南佳孝も新しい都会観を与えてくれた。しかし「CITY」らしきものをはっきりと提示したのは、西岡恭蔵の次に登場したココナツ・バンクをしたがえた大滝詠一。そこには完全に無名だった山下達郎・大貫妙子もコーラスに加わった。「空飛ぶウララカ・サイダー」と「ココナツ・ホリデイ」という2曲だった。
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4月25日は、あがた森魚のデビュー・シングル「赤色エレジー」が発売された日である。と同時に、はっぴいえんどや大瀧詠一や細野晴臣のソロ・アルバム、それに、はちみつぱいやザ・ディランIIなど、日本の...
『「ヒットソング」の作りかた――大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』(牧村憲一著)…1970年代は、「ニューミュージック」という、まさにそれまではなかった「新しい音楽」が生まれてくると同時に、音...
「はっぴいえんどのラスト・アルバムをアメリカでレコーディングしたいんだけど」。 当時、キング・レコードに在籍していた三浦光紀氏から私に相談があった。1972年のことである。 text by 山本隆士
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1960~70年代に、“CMソングを量産し、洋楽的センスを多分に持ち合わせた職業作家”によるものや、“流行をいち早く紹介する情報番組としての役割を担っていたTV番組絡みの楽曲”という傾向があると...
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昨日、7月28日は大滝詠一さんの誕生日でした。牧村憲一さんにミスター・サイダーとして登場する19731年の大滝詠一をお書きいただきました。