2016年10月07日
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2016年10月07日
戦後まもなく、NHKラジオ『日曜娯楽版』で一世を風靡し、“マスコミ界の風雲児”と呼ばれた三木鶏郎は、ユーモアに社会風刺を効かせた「冗談音楽」の開祖、またコマーシャルソングのパイオニアとして、作詞・作曲のみならず、歌手にタレント、構成作家、プロデューサーなどマルチな才能を発揮して大活躍した。さらにはその門下から作家、作曲家、歌手など多くの才人を輩出したことでも知られる。1914(大正3)年生まれの氏が満80歳で世を去ったのは1994(平成6)年10月7日のことだった。一昨年が生誕100年、今年は23回忌の年にあたる。今からちょうど30年前に出されたレコード『三木鶏郎集大成』を通して、その偉業の一部を探ってみる。
“開祖・冗談電波発信人”と帯に書かれたLPボックス『三木鶏郎集大成』が徳間ジャパンから出されたのは、1986(昭和61)年のことだった。実際にラジオ『日曜娯楽版』の時代を知らない、遅れてきた世代にとって、このレコードの存在は実に大きい。6枚組12000円という結構値の張る商品にも拘らず、当時まだ21歳だった筆者も迷わず予約して購入したのは、小林信彦の名著「日本の喜劇人」などで三木鶏郎の足跡をある程度把握していたのと、その「日本の喜劇人」をバイブルとして喜劇研究に没頭していたミュージシャン・大瀧詠一がブックレットに掲載されたインタビューの聞き手を務めていたのも大きかった。特集番組などで断片的には聴いたことがあった『日曜娯楽版』や『ユーモア劇場』のラジオ音源もまとめて聴くのはこの時が初めて。わくわくしながらブックレットを開き、レコードに針を落としたものである。
「第一部 冗談音楽傑作選」と銘打たれたレコードの1枚目は、やはり『日曜娯楽版』に始まる。小野田勇、河井坊茶、千葉信男、有島一郎といった面々が登場。三木鶏郎自らが歌う「僕はサラリーマン」は、森繁久彌の「社長シリーズ」の発端となったサラリーマン映画『ホープさん』の主題歌である。オールナイトで旧作を追っかけていた東宝映画ファンにはこのリンクも嬉しかった。2枚目、改題された『ユーモア劇場』は榎本健一や三木のり平の出演回で華やか。女性では丹下キヨ子、楠トシエ、中村メイコに旭輝子。旭は神田正輝の母、即ち神田沙也加の祖母なのだ。榎本健一と楠トシエの掛け合いが楽しい「ピンポンパン」は三木鶏郎の初期作品の中でも秀でた傑作のひとつ。榎本は後に『エノケン・トリメロを唄う』というアルバムを出したほどで、コメディアンの王様とコミックソングの王様の相性は抜群であった。これらの豪華な顔ぶれからも、三木鶏郎が戦後大衆文化の開拓者であったことが判る。
レコードの4枚目以降は「第二部 音楽作品傑作選」と題して、傑作ソングがこれでもかと並ぶ。代表作「僕は特急の機関士で」が改めて登場。三木自身をはじめ多くの歌手によって歌われたこの軽快な楽曲、三木が最も気に入っていたのは青山ミチのカヴァーだったそうで、少し時代は下るがここにもその音源が収録されている。東京オリンピックが開催された1964年、モノラルからステレオ時代になって青山ミチが初めて出したシングル盤だった。「涙はどんな色でしょか」や「秋はセンチメンタル」といった叙情的な作品群は、後の2010年に『三木鶏郎リリカル・ソングス』(ウルトラ・ヴァイヴ)というアルバムに纏められており必聴。ひとつの曲が様々な歌手によって歌われる傾向にあった三木の作品では持ち歌の観念が希薄であり、コミックソングの極め付け「毒消しゃいらんかね」は楠トシエ、宮城まり子、どちらの歌唱も甲乙つけ難い。が、「田舎のバス」はやはり中村メイコが白眉である。曲の間で挿入されるあの巧妙な台詞廻しは彼女以外ちょっと考えられない。
我が国最初のコマーシャルソングといわれる、灰田勝彦が歌う「僕はアマチュアカメラマン」は1951年の産。コマソンなのに、ピンボケだの二重撮りだの、今では考えられない歌詞に驚かされるが、だからこそ印象強く、大いにウケたのであろう。明るいナショナルにミツワ石鹸、カンカン鐘紡にジンジン仁丹など、言葉の繰り返しは後の広告産業に大きな影響をもたらす。スポンサーのコマソンと共に主題歌も手がけた「鉄人28号」に「ジャングル大帝」といったアニメ作品もある。梅木マリも歌った「トムとジェリー」には、三木のチャーミングな一面が反映されている。こうした作風を受け継ぎ、いずみたくや神津善行、越部信義、櫻井順、嵐野英彦らの作曲家がグループから輩出されていった。作詞家や作家ではキノトール、神吉拓郎、野坂昭如、五木寛之、永六輔、伊藤アキラら実に錚々たる面々がいる。ブックレットの巻末には彼らのほか、三木と親交の深かった一流文化人・芸能人の寄稿がズラリと並んでいる。
今やレコードは当然廃盤になっているが、CDの時代になってからも三木鶏郎関連の作品は数多く出され、最も新しいところでは、生誕100年の一環として昨年編まれた『日曜娯楽版大全』(ウルトラ・ヴァイヴ)が価値ある作品集だ。前述の『リリカル・ソングス』と共に「TV AGE」シリーズからのリリース。さらに1971年に東芝レコードから出され、その後一度CD化もされた、由紀さおりとデューク・エイセスによる『三木鶏郎ソングブック』がユニバーサルで久々に復刻された。プロデュースとジャケットのアートワークを、三木鶏郎の大ファンを自認するイラストレーターの和田誠が手がけている名盤である。なお、三木鶏郎企画研究所が主宰する公式サイト「三木鶏郎資料館」では、貴重な資料の一部を閲覧出来る。本人が世を去って早20年以上の月日が流れたが、その門下生たちの活躍も含めて、大衆文化の雄・三木鶏郎の名はまだまだ健在なのである。これが天才と云うものか!
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