2017年03月23日
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2017年03月23日
名作ドラマ『北の国から』でこごみ役を演じた児島美ゆきは、一定の世代にとっては『ハレンチ学園』のキュートな女学生・十兵衛役がなんといっても強烈だろう。その後も『コートにかける青春』や『決めろ!フィニッシュ』といったスポ根モノのほか各種ドラマ、さらには『TVジョッキー』の初代アシスタントなど、特に70~80年のテレビ界での活躍ぶりは目覚ましかった。スクリーンでは『ハレンチ学園』の映画版をはじめ、東映の『トラック野郎』、松竹の『男はつらいよ』といった国民的プログラムピクチャーにも出演している。そんな人気者の常として、70年代初頭には歌手デビューも果たしたのだった。3月23日は女優・児島美ゆきの誕生日。現在も定期的にライヴ活動を行っている彼女は、還暦を超えてなお美しく輝いている。
芸歴は長く、1968年に公開された東映の劇場用長編アニメ『アンデルセン物語』に声優として参加したのが最も古い出演記録である。それ以前からコーラス・グループ、ヤング・フレッシュの一員として『ひょっこりひょうたん島』や『仮面の忍者 赤影』などの録音に参加していたというから、そもそもの出発点は歌だったことになる。当初の芸名は“児島みゆき”であった。そして1970年、18歳のときに『ハレンチ学園』に主演して一躍脚光を浴びる。現在50~60歳前後の世代にはお馴染み、週刊少年ジャンプに連載されていた永井豪のちょっとエッチなギャグ漫画を原作に、先行して映画3作が公開され、秋には東京12チャンネル(現・テレビ東京)でテレビドラマ版がスタートした。その人気の源は多彩な出演者はもとより、何より主演の児島美ゆきが魅せた可愛いお色気に乞うところが大きかったのは間違いない。最近でこそ過度なコンプライアンス遵守で表現の自由が失われたテレビ界ではあるが、その後を考えれば大したことのない描写でも当時としては刺激が強かったとおぼしい。たちまちPTAに睨まれる俗悪番組のレッテルが貼られてしまったものの、実際の人気は凄まじく、最高視聴率32%という数字はテレビ東京歴代ドラマの最高視聴率記録を現在に至るまで保持している。“ドーハの悲劇”として知られる1993年のサッカー中継で塗り替えられるまでは、同局の歴代最高視聴率番組であったという事実からも、どれだけ人気を得ていたかが窺える。
そんな人気絶頂の中、ドラマ版『ハレンチ学園』が始まって間もない1970年12月に、児島美ゆきは「どういうわけか/こっちを向いて」でクラウンから歌手デビューした。歌唱力もしっかりとした歌謡ポップス路線。アイドル・ブーム到来直前の早すぎたアイドル歌謡ともいえそう。どういうわけか大ヒットとはならなかったが、それは女優レコードの常でもあり、最近のトップ女優たちを見ても俳優としての人気とCDの売り上げはほとんど比例していないから、そのジンクスは長きに亘って守られているといえるのではなかろうか。続けて翌1971年には『ハレンチ学園』の後番組として、多くのスタッフ・キャストが携わった姉妹ドラマ『ワンパク番外地』の主題歌を自ら歌った。ドラマの音楽を担当した山本直純が主題歌も書き下ろしている。同年には「美ゆきの愛のサンバ」、1972年には「さよならを追いかけて」と、クラウンで4枚のシングルをリリース。さらに1974年にはキングレコードから2枚「恋はかけひき」と「あなたの部屋で」も発表した。20歳前後の瑞々しい歌声が存分に残されたことは女優として幸福であったといえる。
ちなみにヤング・フレッシュ時代は別として、実は「どういうわけか」の前にも一枚、やはりクラウンから「アポロ宇宙船」という曲を出しており、いわゆるプレ・デビュー曲にあたる。B面も別歌手の企画盤でいわゆる学芸扱いのレコード。1969年のリリースだから、アポロ11号の月面着陸が題材になっているのは言うまでもない。さらに非売品レコードとして、新宿の紳士服店カワノが製作したシングル「昼下がりの街」のB面「海辺のマドリガル」で桂竜也とともにポエムを朗読している音源がある。これらの貴重な音源はいずれも2007年に編まれたCD『児島美ゆき70’コンプリート・シングル・コレクション』にボーナス・トラックとして収められている。現在も入手可能と思われるので、バラエティ色溢れるシングル楽曲群とともにご一聴をお薦めしたい。
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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