2017年05月04日
スポンサーリンク
2017年05月04日
本日、5月4日は寺山修司の命日である。亡くなって34年となる。
寺山修司を何者と思うか? 俳人、歌人、詩人、劇団主宰、演出脚本家、作詞家、エッセイスト、映画監督、小説家、写真家など、様々な肩書きが思い浮かぶだろう。
肩書きの多め? というサエキの素性を買われたのか「失われたボールを求めて」というトリビュート盤を、ソニーからの指名で1993年にプロデュースさせていただいた。
ポイントとなったのは、プロジェクトの総合プロデューサーであったソニーの有名ディレクター、酒井政利さん。酒井さんは寺山が作詞でプロデュース的に送り出した少女歌手カルメン・マキの「時には母のない子のように」(1969年)を制作した。
カルメン・マキのテレビ出演は衝撃的であった。寺山の「家出のすすめ」そのままに家も田舎も飛び出てきたような、男子のようにキっとカメラをにらむ美少女が、裸足で「時には母のない子のように、だまって海を見つめていたい」と歌うのだ。その情景は、つげ義春の「海辺の叙景」というドメスティックな漫画や、あるいはCTIレコード、A&Mレコードあたりのジャケットのムーディな寂寥な海岸も何故か想起させた。
また酒井さんは、担当していた郷ひろみなどの制作などにおいて、非公式ではあるが、寺山のアドバイスをもらっていたとのことであった。そこでは、非凡なアイデアが出されていたという。寺山のセンスはカルメン・マキのキャラを見れば分かるとおり、ユニセックス的である。ジェンダー的な要素を持っていた郷ひろみの降誕には寺山のセンスも噛んでいたというのは興味深い証言である。
「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」(麦わら帽をかぶった私は、海を知らない少女の前で両手を広げていた)と歌う寺山。出身青森仕込みの海が香る、強烈なドメスティックさが香る。それと共に、少女、麦藁帽、飛行船などという小道具を使った時、どこか透徹したオシャレ感が漂う。そういうところに昔から感心している。ジーンズとザックリしたシャツで歌う黒いロングヘアーのデビュー時のカルメン・マキ、その混血児としてのスタイリッシュさは、寺山系の典型的なオシャレ・サンプルだ。明治維新以来、洋風にカッコつける輩は現在に至るまで枚挙にいとまはないわけだが、寺山のようにドメスティックな匂いの中に、ネジれるように洋風オシャレが配合されている例は、貴重である。やはり宮沢賢治的なのか? もっと臭い。そういうところが現在の若者の琴線にも触れているのだ。
トリビュート盤『失われたボールを求めて』は、寺山好きを自認するメンバー、細野晴臣,鈴木惣一郎,大槻ケンジ,タモリ,あがた森魚,巻上公一,白井良明,友部正人、ROLLY等、といった豪華メンバー。彼らの提出した作品も様々であった。なぜ寺山に日本のロックがはまったのか? 前述のように寺山の作品はどこかバタ臭い、洋風のセンスが配合されているからなのだ。たとえていうなら、日本語性に、マーブル模様のように洋風が混じり込む。決して、溶けこむわけではない。集まったメンバーもマーブル模様なら、音楽の指向や作品もマーブルになる。ロックに違和感を発しながら、寺山色日本色を発して香っていく。
天井桟敷の舞台や、遺作「さらば箱舟」(82年)に至るような映画作品には、そうした混沌とした寺山の才能が永遠に封じ込められていると思うが、個人的には、ハプニング性を肌で体感したイベントが忘れがたい。
1970年に行われた「人力飛行機ソロモン」は、劇場を飛び出し、町中を虚構化する市街劇だった。1998年11月、「一日だけの天井桟敷」と銘打って寺山の故郷・青森市で「人力飛行機ソロモン・青森篇」が上演されたのを目撃した。市内の中心部を通行止めにして、歩行者天国状態にし、道ばたで様々なパフォーマンスや市外劇が行われた。客には寺山のお面、市街劇の地図、チョークが一本渡される。誰もがチョークで自由に街に何かを書けということだ。月蝕歌劇団や、蘭妖子も参加していた。
6~70年代よりははるかに都市化していた青森の市街に突然登場する軍服や大山デブ子もどきたち。シュールな寺山の世界は日本的だがどこか常にハイカラで、シティ化した青森に良く映えた。
現在、青森県三沢市にできた寺山修司記念館は、若者にとって大人気の観光スポットとなり、常設展示には「人力飛行機ソロモン」をはじめ、数々の業績が展示されている。
≪著者略歴≫
サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。「未来はパール」など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2009年、フレンチ・ユニット「サエキけんぞう&クラブ・ジュテーム」を結成しオリジナルアルバム「パリを撃て!」を発表。2010年、デビューバンドであるハルメンズの30周年を記念して、オリジナルアルバム2枚のリマスター復刻に加え、幻の3枚目をイメージした「21世紀さんsingsハルメンズ」(サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース)、ボーカロイドにハルメンズを歌わせる「初音ミクsingsハルメンズ」ほか計5作品を同時発表 。
2018年2月6日で52歳になる。52歳! まさか52歳になってもロックバンドのボーカリストをやっているとは想像もしなかった。だって、僕がロックを始めた少年の頃、50を越えたロックミュージシャン...
本日1月19日は浅川マキの命日となる。2年前に、ロンドンのオネストジョンというレーベルからUK盤『Maki Asakawa』が全世界発売になり、ヨーロッパを中心にひそかな浅川マキブームのようなも...
1967年、ビクターから出した浅川マキのデビュー・シングル「東京挽歌」は、不発に終わった。当時、こちらは音楽業界に入ったばかりの宣伝担当で、浅川マキにくっついて全国キャンペーンに行ったりしただけ...
戸川昌子は、不世出のユニークな歌唱を行うシャンソン歌手であり、江戸川乱歩賞を受賞した小説家であり、そして6~70年代には一流の文学家サロン、2000年代には日本のサブカルをリードしたライヴカフェ...
1月18日は小椋佳の誕生日である。73歳、古希(70歳)を迎えた時に“生前祭コンサート”を行う。小椋は、東大法学部4年時、ラジオ局で寺山を“出待ち”し、後日そのサロンに入る。卒業後、第一勧銀に入...
11月17日は、酒井政利ディレクターの誕生日。南沙織、郷ひろみ、山口百恵ら数多くのスター歌手を世に送り出し、日本の歌謡史の流れを変えた名ディレクターである。text by 馬飼野元宏
シャンソンの訳詞をきっかけに流行歌の世界で作詞家として才能を開花させ、多くの優れた作品を手がけた後、小説や随筆の執筆やコンサートや舞台の演出・プロデュース、コメンテーターとしても活躍するなど、幅...
東京オリンピックが開催された1964年前後、エレキブームが興っていた一方で、若者たちは皆が洋楽志向であったわけでは決してなく、極めてドメスティックな青春の歌が全国的に支持されていた。当時、西郷輝...
本日5月18日はカルメン・マキの誕生日。そして、山崎ハコの誕生日でもある。text by 小川真一