2016年03月09日

3月9日はピンク・レディーのミーの誕生日…PLのヒットの軌跡を「B面」という観点から振り返る

執筆者:丸芽志悟

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本日3月9日は、公式ではないがボーカロイド・初音ミクを讃える日とされる。しかし、その登場から50年程遡った1958年(昭和33年)の3月9日、のちに日本の歌謡界をアンドロイド並みの超人的行動力で駆け抜けることになる二人の片方が、人としてこの世に産み落とされているのも忘れてはいけない。そう、その人こそ根本美鶴代、即ちピンク・レディーのミー(現・未唯mie)である。


昨年9月2日のケイの誕生日に書いた内容を繰り返さないためにも、慎重に言葉を選びたいものであるが、とにかく当時小学生だった筆者の周りのPLファンの殆どはミーちゃん派だった。今年発売40周年を迎えるデビューシングル「ペッパー警部」のジャケットを今見返してみると、ケイの方は既にトッポいお姉さんオーラを出してるのに、ミーの垢抜けない表情には後のトップアイドルの片鱗が微塵もない。お世辞にもスラッとしたとは言い難い足…でも、確かにそこにキュンとしてしまったのは認める。そう、自分も近いうちに進むことになる「中学校の校庭を体操着姿で走ってるお姉ちゃん」みたいなスポーティさに憧れたし、ミー派キッズの大部分もきっとそうだったろう。だからこそ、ファースト・アルバムの中で歌っていたソロ曲「ゆううつ日」の陰鬱さには、どうしてこうなるんだと疑問符連発。でも、おかげで歌の上手い人なんだと認識できることになったし。


さて、そんな「ペッパー警部」(76年8月25日発売)を皮切りに怒涛の快進撃を始めるPLであるが、大ヒットもそうでないものも引っくるめて、大抵のシングルには「B面」がつきものではないか。配信時代となった現在、その概念はほぼ忘れられているのが悲しいし、CDでリリースされているシングルには、カップリングと銘打って3曲以上の曲が収録されるのも珍しくなくなった。T.レックスみたいな例外もあるけど、AB面合わせて2曲あれば充分。そういうわけで、今回はミーの誕生日を肴に、PLのヒットの軌跡を「B面」という観点から振り返ってみたい。


最初のシングル6枚のB面は、A面共々77年12月にリリースされ大ヒットを記録した『ベスト・ヒット・アルバム』に収録されているため、当時青春を送った人達の脳裏には今も強烈に焼きついているに違いない。まずは「ペッパー警部」のB面「乾杯お嬢さん」。発売元のビクター側はこの曲をA面として推したがっていたが、もしこちらがA面だったらその後の歌謡史はどうなっていただろう。よくできた歌謡ポップスではあるけど、「その他大勢」に終わりかねないという印象も受ける。作者・歌い手の思い入れも半端じゃなかった「ペッパー」の衝撃波は、レコード会社の期待度を大きく超えたのである。

続く「S・O・S」のB面は「ピンクの林檎」。楽曲としてはまだ手堅いままだが、この曲でこの漢字を「りんご」と読むことを覚えた人は多いと思われる。ちなみに郷ひろみ・樹木希林の「林檎殺人事件」はこの2年後、椎名林檎は22年後のデビューだ。


遂に快進撃が始まった「カルメン'77」「渚のシンドバッド」のB面は、タイトルからして「パイプの怪人」「パパイヤ軍団」と、A面以上にアトラクション性が高く、子供受けを狙った面もあると思われるが、阿久悠はここでも含蓄の深い歌詞を書いている。「ウォンテッド(指名手配)」のB面「逃げろお嬢さん」は、歌謡史に時折姿を表す「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」のモチーフを取り入れた曲の一つ。「レディー・X」(「UFO」)、「アクセサリー」(「サウスポー」)と来て、「モンスター」のB面には当時彼女たちが出演していた伝説のアイス「宝石箱」のCMに使われた「キャッチ・リップ」、「透明人間」のB面にはこちらも伝説の番組、ドリフとPLという、芸能界の構造的には相反すると言える2組が邂逅した点で大事件だった人形劇「飛べ! 孫悟空」のテーマ曲「スーパーモンキー孫悟空」と、ついにタイアップソングが登場。レコード売上に拍車をかけた。




怒涛の77〜78年が「紅白辞退」で幕を閉じ、「米国進出」の79年へと突入するが、この年の夏いよいよPLのB面史上最大級の問題作が登場する。13枚目のシングル「波乗りパイレーツ」だ。A面は都倉俊一アレンジによる同曲の日本制作ヴァージョンだが、B面には米国で制作された別ヴァージョンが収録されている。そのバックコーラスを務めているのは、他ならぬ波乗り音楽の大御所、ビーチ・ボーイズのメンバーなのだ。クレジットによると、現在もライヴの中心メンバーとなっているマイク・ラヴとブルース・ジョンストン、故カール・ウィルソンに加え、同年夏の来日公演では「こんな酷い旅生まれて初めて」の1行しか歌わなかったという伝説が残るブライアン・ウィルソンもしっかり参加。聴いてみると、明らかにブライアンの声がする。アレンジを担当したのは、当時マイクが組んでいたセレブレイションの音楽ディレクター、ポール・フィエルソである。このゴージャスなサウンドにもかっちり馴染んでいる二人の表現力の進化はすごい。


引き続き米国デビューシングルとしてリリースされた「キッス・イン・ザ・ダーク」のB面には、66年に大ヒットしたレフト・バンクの「いとしのルネ」のカヴァーが配された。プロデューサー、マイケル・ロイドは60年代に組んでいたバンドでもレフト・バンクのB面曲を取り上げていたし、彼の意向による選曲であろう。


この後、81年3月の最初の解散までに発表したシングル8枚は、AB面両方均等に通好みという結果になってしまうが(テクノ歌謡の逸品「AMENIC」とか、避けて通れない曲もあるけど)、こうしてB面だけ並べてみても、本当にたいしたスーパースターだったことを再認識します、ピンク・レディー。もうじき来日するブライアンとの再会は果たされるのかなぁ…

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