2019年06月14日
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2019年06月14日
1972年の今日、6月14日、大阪フェスティバルホールでシカゴをライブ録音した。
シカゴは前年10月に4枚組の超弩級ライブ・アルバム『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』を発売し、日本でも12月に発売している。
ジャケットがクリーム色でクリスマス・シーズンだったこともあり赤坂TOPSのチーズ・ケーキにシカゴのロゴを描いてプロモーションに配ったことを思い出す。
カーネギーホールのライブが音質的にも演奏の出来も4枚組という枚数も気に入らなかったので、ライブ盤発売直後だというのに日本でのライブ録音をアメリカCBSに申請したところ来日直前にプロデューサーのJ.W.ガルシオからOKの返事が貰えた。
8チャンネルのテープ・レコーダーを二台会場に運び込んだのはパラにつないで16チャンネルにするためではない。テープには30分しか録音出来ないので、テープ交換のために二台必要だったのだ。
録音エンジニアのウェイン・ターノフスキー(『シカゴV』の録音も担当)とガルシオが来日して無事録音は終了した。
録音されたテープをアメリカに持ち帰って彼らが仕上げるのだろうと思っていたら「あとは任せます」と言って二人は帰国してしまった。
録音経験ゼロで24歳の新米担当ディレクターのぼくと当時はまだ録音アシスタントだった鈴木智雄さんと二人で仕上げなければならない。
録音されたテープを聞き直した結果ほとんどのOKテイクは11日の演奏から選ばれた。
音質チェックとOKテイクをチェックしてもらうためにアセテート盤にカッティングしてガルシオとやり取りをし、最後に曲順をつないでアメリカからOKを貰った。
『シカゴ・ライブ・イン・ジャパン』には6月14日に録音されたとても貴重な一音が収録されている。
11日の「サタデイ・イン・ザ・パーク」のイントロのピアノ・ソロでロバート・ラムが半音ミスタッチし、その瞬間ガルシオが「Oh!!!ボビー」と悲しげな声を上げたことを思い出す。
一音だけ切り貼りするしかない。
『シカゴ・ライブ・イン・ジャパン』は演奏の切り貼りを他には一切していない。唯一編集したのが「サタデイ・イン・ザ・パーク」のイントロの一音だ。
10日の演奏はテンポが違いすぎて使えないのでやむなく14日の演奏から切り取ることになった。
何でやむなくだったのか。
14日は予備日の為スタインウェイが押さえられず国産のピアノだったのだ。鈴木さんが慎重に編集したこともありこのことは誰にも気づかれなかった。
翌年ぼくと鈴木さんは2006年に世界最大のジャケットのLPとしてギネスブックに登録された『ロータスの伝説 サンタナ・ライブ・イン・ジャパン』を制作することになる。
その当時の日本の洋楽のことを先日発売した電子書籍『きっかけ屋アナーキー伝』に書きましたので洋楽好きの方はぜひお読み下さい。
≪著者略歴≫
磯田秀人(いそだ・ひでと):1970年CBSソニー・レコード入社。シカゴ、サンタナ、ジャニス・ジョプリンなど洋楽のロックを担当。後にセンチメンタル・シティ・ロマンス、四人囃子など国内制作を手がけ、その後書籍のプロデュース、作家マネージメントなどを行う。自称きっかけ屋。
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