2017年10月17日

『11PM』のテーマ曲を作った天才ジャズピアニスト・三保敬太郎

執筆者:鈴木啓之

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戦後日本が最も元気だった高度経済成長の時代、ある天才ジャズピアニストがショウビジネスの世界で大いに活躍を遂げた。音楽界だけに留まらず、俳優、タレント、映画監督、エッセイスト、レーシングドライバー等々、どの分野でも一流だった才人である。ほかにもスキーはオリンピック候補級の腕前、自前でアイスホッケーのチームを持つなど多趣味で知られた人物であった。しかしながら豊かな才能を持ち過ぎた者の宿命であろうか、1986年に51歳という若さで世を去ってしまう。彼の名は三保敬太郎といい、1934年10月17日生まれ。存命であれば83歳の誕生日を迎えることになる。


日本コロムビアの社長を務めたこともある実業家の三保幹太郎を父に持つ敬太郎は東京に生まれ、幼稚舎から大学まで一貫しての慶応ボーイであった。7歳からピアノを始め、高校時代にはピアニストの守安祥太郎に師事。16歳でバンド、クール・ノーツを組んでプロのジャズピアニストとなる。その後、ミッドナイト・サンズ、トミー・パーマー・オーケストラ、エンバース・ファイブ、ビック・フォアなどのバンドを渡り歩き、慶應義塾大学を卒業した翌年の1959年には山屋清、前田憲男とともにモダン・ジャズ三人の会を結成した。同年には「もぐらの唄」で芸術祭奨励賞を受賞。原六朗の作詞・作曲によるユニークな楽曲を三保がアレンジし、フランキー堺とリリオ・リズム・エアーズの歌で、東芝レコード(当時)からシングル盤が発売された。1961年には2度目の芸術祭奨励賞も受賞している。


早くから才能を開花させていた作曲・編曲の仕事は、ジャズ評論家の岩浪洋三から“日本のジャズアレンジャーの草分けとして、国内のジャズにオリジナリティーを与えた一人”と評された。その天才的なひらめきが発揮された最も有名な作品に、日本テレビの深夜番組『11PM』のテーマ曲がある。サバダバスキャットで知られる洒落た旋律を聴けば、東京の人は大橋巨泉、大阪の人ならば藤本義一の顔を思い浮かべるかもしれない。エロばかりが取り沙汰されるが当初は深夜帯を開拓した硬派なワイドショーとしてスタートした番組であり、今でも時折話題に上るのは、このテーマ曲の存在も極めて大きい筈だ。この1曲だけでも三保の名は永遠に残ると言っても過言ではないだろう。赤塚不二夫の「おそ松くん」が最初にテレビアニメ化された際には、藤田まことが歌った後期のオープニングテーマを作曲した。ほかに映画音楽も多く手がけ、日活の『事件記者』シリーズ(1959~62年)や、東映の石井輝男監督『花と嵐とギャング』(1961年)、深作欣二監督『ファンキーハットの快男児』(1961年)などの音楽を担当。マイルス・デイヴィスが音楽監督を務めた『死刑台のエレベーター』(1957年)などの影響を受けたとおぼしい。青島幸男が製作・脚本・監督・主演を務めた自主作品『鐘』(1966年)では音楽監督を務めるとともに俳優としても出演した。


俳優仕事では、1965年、倉本聰の脚本による日本テレビのドラマ『ザ・レーサー』(演出・早川恒夫、出演・鈴木やすし、長谷川明男、和田浩治、斎藤チヤ子ほか)がある。これは三保のもうひとつの顔だったレーシングドライバーの観点から見ると重要な作品で、音楽を担当した1966年の村野鐵太郎監督作品『銭のとれる男』に至っては、主人公がジャズマンでカーレーサーという、三保のポジションと完全にリンクした映画であった。レーシングドライバーのジム・ラッセルに師事して国際A級ライセンスを取得した三保は、1963年に鈴鹿サーキットで行われた第1回日本グランプリにも個人で出場している。1967年には第6回シンガポールGPツーリング&サルーンカーレースのクラス1(850cc以下)で3位入賞を果たした。慶應幼稚舎時代の後輩として交流があったカーレーサーの福澤幸雄がサーキットでのテスト走行中の事故で非業の死を遂げた1969年には、追悼盤として『サウンド・ポエジー“サチオ”』が制作され、故人に捧げられた。全編に伊集加代子(現・伊集加代)のスキャットがフィーチャーされた煌びやかなメロディが散りばめられ、生前の福澤の声も収められた傑作アルバムは、特に後年になってから、ソフトロックの名盤として高い評価を得ている。車に関しては「マイカー紳士」(1966年)、「マイカー紳士 ヨーロッパGO!GO!」(1969年)という著書もある。


ジャズ以外の音楽仕事では、1968年に寺尾聰らと結成したザ・ホワイト・キックスで、ザ・ハプニングス・フォーとの競作となった「アリゲーター・ブーガルー」もある。1枚のみのリリースで解散したが、グループサウンズ(=GS)ブームに参戦して足跡を遺した。その後、提供した寺尾のソロナンバー「風もない午後のサンバ」はボサノヴァ歌謡の傑作。1960年代後半から1970年代にかけては歌謡曲仕事も非常に多く、和田弘とマヒナスターズ「愛してはいけない」、ジャニーズ「焔のカーブ」、木村芳子「人魚に恋した少年」、亜紀あかね「あゝじれったい」、岡田可愛「明日へ飛び出せ」等々。知られざる名曲も多く、三保敬太郎が提供した歌謡曲の作品集が纏められることを願ってやまない。GS関連では、1967年のザ・スパイダースのシングル「虹をつかもう」の編曲も担当している。同曲は作詞・倉本聰、作曲・村井邦彦という布陣で、三保が今も健在であったなら、ドラマ『やすらぎの郷』に石坂浩二やミッキー・カーティスらと共に出演していたかもしれないなどと夢想してしまうのだ。


≪著者略歴≫

鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。

11PMのテーマ Maxi 三保敬太郎

鐘 (オリジナル・サウンドトラック) Soundtrack 三保敬太郎

サウンドポエジー・サチオ 三俣敬太郎と彼のグループ

アリゲーター・ブーガルー (MEG-CD) ザ・ホワイト・キックス

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