2018年04月13日
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2018年04月13日
『はぐれ刑事純情派』の部長刑事、『必殺仕置人』の中村主水、『てなもんや三度笠』のあんかけの時次郎、世代によって俳優・藤田まことへ抱くイメージは異なるであろう。60年代から90年代に至るまで、時代を超えて常に当たり役をものにしていたのは驚異的である。俳優・藤間林太郎を父に持ち、10代で舞台俳優としてキャリアをスタートさせるも、上京する頃には歌手を目指していたのだという。ディック・ミネの鞄持ちをしながらの前座歌手時代を経て、やがて司会業もこなし、結局はコメディアンとして頭角を現すことになるのだが、人気者の常としてレコードも出すに至り、本来の夢だった歌手の仲間入りも果たした。かなりの数に及ぶ遺された音盤を聴くと、たしかによく通る美声でリズム感もバッチリ。もともと歌手志望だったというのも頷ける。本日4月13日は藤田まことの誕生日。1933年生まれなので存命ならば85歳になる。ここではシブい性格俳優の藤田まことではなく、時には茶目っ気たっぷりに自慢のノドを披露していた歌手・藤田まことの姿を想い出してみたい。
藤田まことのレコードで最もよく知られているものは、当初自主盤として出され、71年にテイチクから発売されるに至った「十三(じゅうそう)の夜」だろう。通称「十三のネエちゃん」。実は東京生まれ、京都育ちにも拘らず、コテコテの大阪人のイメージがある藤田まことを形成する要素のひとつにこの歌の存在がある。大阪・淀川沿いの歓楽街が歌われた浪花演歌のスタンダードは自らの作詞・作曲によるものだった。最初のレコードは61年に出された「御堂筋/ちゅうちゅうたこ焼」まで遡る。翌62年には人気を全国区とした『てなもんや三度笠』の主題歌もシングル・リリースされた。番組の構成作家である香川登志緒の作詞、キングレコードの歌手でシンガーソングライターの開祖といわれる林伊佐緒の作曲で、B面は「君!クヨクヨする勿れ」。さらに翌63年には藤田と楠トシエの歌による「スチョチョン節」をB面曲として装いも新たに発売されている。
しかし『てなもんや三度笠』関連の音盤で最も売れたのは、64年にケイブンシャから出されたフォノシートだった。お馴染みの主題歌以外に「スットントロリコなぜか気があうウマがあう」と「てなもんや数え唄」を収録。いずれも香川の作詞、作曲は野口源次郎によるもので、藤田と白木みのるの掛け合いで聴かせる傑作である。美麗なピクチャーシートはコレクターズアイテムとして人気の逸品。キングレコードからの発売が続いた本筋のレコードの方では、「てなもんや三度笠」に続いて「呑まんとおられへん」「残酷行進曲」、再び楠トシエとの共唱となった「ひまができたら」などがある。これらの曲はながらく廃盤となっていたが、2010年に藤田が没した年に出された追悼盤CD『てなもんや三度笠 藤田まことソング・コレクション』で久しぶりの復活を果たした。
珍しいところでは、64年の映画主題歌「赤いダイヤ」のカップリング曲「好きになっちゃっちゃった」はザ・ピーナッツとの共演ソング。一時期は渡辺プロダクションの所属となって、ハナ肇とクレージー・キャッツやザ・ピーナッツとの共演の機会が増えた。東芝レコードからシングル「どえらい奴/お馬の唄」「梅新ブルース/競馬音頭」を出したのは正にその頃で、「競馬音頭」は「スーダラ節」の作者として知られる萩原哲晶の作曲だった。作詞は大橋巨泉で、『11PM』のイレブンダービーが彷彿される。そして大阪の梅田新道が歌われたカップリングのご当地ソング「梅新ブルース」の作詞は藤本義一だったから、シングルのA面とB面で東京と大阪の『11PM』司会者による競演が展開されたわけだ。当時はほかにもアニメ『おそ松くん』のオープニングテーマを歌ったり、ビクターからは新曲「そのうちいい娘にあたるだろう」が収められたフォノシート『おれの番だ』が発売されるなど、歌手活動も盛んだった。その後、俳優として円熟味を増してからは演歌系のリリースが多くなっていったが、その中で78年に出された「おっさんのバラード」は作家・遠藤周作によるアナーキーな詞が際立つ異色作。狐狸庵先生独特のユーモアが表現された必聴盤としてオススメしたい。
藤田まこと「十三(じゅうそう)の夜」「てなもんや三度笠」「梅新ブルース/競馬音頭」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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