2018年02月23日
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2018年02月23日
1958年の本日、イギリスのケント州でこの世に生を受けたデヴィッド・シルヴィアンは、かつてJAPANの顔として日本の音楽雑誌の表紙を何度も飾ったヴォーカリストだ。
しかし今、JAPANと聞いていったいどれだけの人が1970年代に日本で絶大な人気を誇ったイギリスのロックバンドを思い浮かべるのだろうか。解散から40年近く経ってしまった今ではきっと知らない人の方が多いのだろうし、もしかするとX JAPANと勘違いする人もいるかもしれない。
JAPANはデヴィッド・シルヴィアンとスティーブ・ジャンセン兄弟、そして彼らの友人ミック・カーン、リチャード・バルビエリによって1974年に結成された。その後、アリオラハンザと契約して1978年にデビューしたのだが、当初イギリスではまったく話題にならなかった。
そんな彼らを世界で初めて見つけたのは日本のファンだった。そしてその火付け役は当時、日本で一番メジャーな洋楽雑誌だったMUSIC LIFEだった。
ある日、レコード会社の宣伝担当者が1枚のレコードとアーティスト写真をMUSIC LIFE編集部に持ってきたのだが、その写真を見て、レコードを聴いた瞬間、私を含めて全ての女性編集者が一斉に「これは凄い!」と飛びついた。それがJAPANだった。そして日本ではまだファーストアルバムのリリース前だったにも関わらず、すぐに翌月の誌面(確かグラビアだったと思う)に彼らの写真を掲載することになった。
読者からの反響は凄まじかった。まだ音楽も聴いていないはずなのに何故、と思う人もきっと多いだろうが、実際のところ彼らのビジュアルにはそれくらいのインパクトがあったのだ。甘く整った顔立ちのスティーブ。真っ赤な髪とエキゾチックな眉なし顔が印象的なミック。そして極めつけはまるで少女漫画の世界から抜け出してきたような完璧な美しさを備えたデヴィッド。そう、70年代の日本においてデヴィッド・シルヴィアンは奇跡のような存在だったのだ。
ちなみに日本人の(そしてML編集部の)名誉のために一言付け加えておくと、イギリスのレコード会社でもデヴィッドのことを「世界で最も美しい男」と銘打ったキャンペーンを行っている。ただしそれは日本に遅れること2年、1980年だった。
その後JAPANはMUSIC LIFEやその姉妹誌ROCK SHOWで常連となって、ファーストアルバム『果てしなき反抗』は日本だけで15,000枚の大ヒットを記録。翌79年3月には早くも初来日を果たしたが、なんとツアーの中には武道館公演も含まれていた。
彼らのこうした人気はもちろんそのビジュアルがきっかけだったのだが、JAPANは決して見た目だけのバンドだったわけではない。なかでもJAPANのほとんどの曲を作詞作曲していたデヴィッド・シルヴィアンの才能は広く注目されていたし、ヴォーカリストとしての存在感、実力は誰もが認めるところだった。中世的なルックスからは想像できないような低温の歌声には、何となくブライアン・フェリーを思わせるようなセクシーさがあった。
デヴィッド・シルヴィアン、そしてJAPANの実力を認めたミュージシャンとして真っ先に思い出されるのがYMO周辺のミュージシャンたちだ。なかでも坂本龍一とデヴィッドは数々のコラボレーション作品を作成し「禁じられた色彩/Forbidden Colors」「バンブーハウス/Bamboo Houses」という世界的な大ヒットも生み出している。また土屋昌己や高橋幸宏 、矢野顕子たちとはライブで共演している。
JAPANはその後、イギリスでも評価されるようになったのだが、徐々にメンバー間の方向性の違いなどが表面化し始めて1982年には惜しまれながら解散してしまう。しかしデヴィッド・シルヴィアンはその後もアーティストとして活動を続け、今も果敢に新しい音作りに挑戦し続けている。
≪著者略歴≫
榎本幸子(えのもと・さちこ):音楽雑誌「ミュージック・ライフ」「ロック・ショウ」などの編集記者を経てフリーエディター&ライターになる。編著として氷室京介ファンジン「KING SWING」、小室哲哉ビジュアルブック「Vis-Age」等、多数。
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